フジコさんは、28歳のときにドイツに留学した。ベルリン国立音楽大学卒業後の1969年、ウィーンでのリサイタルが決定したが、リサイタル直前に風邪をこじらせ、耳が聞こえなくなり、全てのリサイタルをキャンセルせざるを得なくなった。その後、ストックホルムで耳の治療に専念したが、右耳の聴力は失われ、左耳の聴力も、完全なときの40%まで回復するのがやっとだった。インタビューでも必ず、「左側に座って、大きな声で話してください」と最初に念を押される。

「ドイツの大学で勉強していたときも、ピアニストとして独り立ちしかけたときも、世の中には、いろんな意地の悪い人がいて、悪口を言われたりして、落ち込むことが多かった。耳を悪くしてからは、夢を諦めきれないまま、ピアノ教師をやっていましたけど、合間合間に、小さな演奏会で弾くこともあったんです。そうすると、ときどき道端で、『私はあなたの演奏会に行きました。素晴らしかった!』なんて声をかけてくれる人がいて、そういう人の言葉に励まされた。諦めずに頑張ろうという、自信につながったんです」

(菊地陽子、構成/長沢明)

週刊朝日  2022年9月9日号より抜粋