「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり
「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」25日(金)から全国順次公開 (c)2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

──弱っていくお母さんを撮ることに葛藤はありませんでしたか?

 ありました。でも目を開けたときそこにカメラがあっても母は嫌な顔をしなかったんです。母は映画や写真が好きで、書や水彩画もたしなんでいました。もし時代が違ったらそうした仕事をやりたいと思っていた感じもあり、自分が作品に関わっている喜びがきっとあったと思います。共同の作り手として「一緒に最後まで作ろうね」という気持ちで撮りました。

──お母さんが胃ろうをするシーンもあります。決定はどのように?

 決断しなければいけないときが迫って、結局そのときの自分の感情で決めてしまったんです。本当は母本人が元気なうちに話し合わないといけなかったけど、でもやっぱりそういう話はしにくくて。それもあって、いま父とはそれとなく、話し合っています。

 私、胃ろうが延命治療にあたるということも実はわかっていなかったんです。リハビリ病院から転院しなければならなくなり、「施設に入るか、療養型の病院に入るか、家に帰るか決めてください」と言われました。家で母をみることは不可能で「胃ろうにすれば療養型の病院に入れます」と言われ、そこにすがるしかなかった。チョイスがなかったという感じです。

──お父さんと「あれでよかったのか」と話すシーンも印象的でした。

 本当に正解がないんですよね。友人のお父さんが「食べられなくなったら寿命」と点滴も胃ろうもせずに亡くなったと聞いて、「私はやりすぎたのだろうか?」と思いもしました。でも、もし事前に母に延命拒否を頼まれていても実際にあの場で自分にそれができたかどうか、自信がありません。

 胃ろうにするとびっくりするくらい、目に見えて元気になるんです。骸骨みたいだった頬がみるみるうちに膨らんで、赤みも差して元気になった。そうなると素直に嬉しいんですよね。あのときの喜びは忘れられないです。

 結局、胃ろうにしたことで母は1年、長く生きてくれました。ずっと寝たきりで食べる楽しみもなくなって「あれでよかったのか」といまだに眠れない夜もあります。それでも私たちはどんな状態でも母が生きてくれたことが嬉しかったんです。なにより父がどんな状態でも母に生きてほしい、と願っていた。「おっかあが生きておってくれさえすりゃあ、わしはええんじゃ」と言われたら、そうするしかないんですよね。父のためにも母には生きていてもらいたかったというのが本音です。

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