中将:すぐに軌道に乗ったんですね。

早川:僕は細密画が好きじゃないので、当時からちょっと乱暴で激しい画風だったんですよ。絵の世界では1980年頃にニューペインティングという流行がありましたが、それに近いような。横尾忠則さんなんかも華々しく活躍されはじめた時代ですし、より自由な表現を良しとする当時の風潮に合っていたのかもしれませんね。

 でも商業イラスト―レ―ターとしてはもっと綺麗なもの、可愛らしいものが自然に書ける人のほうが強いんです。僕も求めに応じていろんなものは描くんだけど、本当に描きたいものとのギャップは感じていました。それに当時は口に出しませんでしたが、はっきり言って収入的にも夢がないなと。そんなフラストレーションが溜まり始めていた頃に沢田研二さんの仕事が舞い込んできたんです。

中将:沢田さんの衣装のお仕事を依頼されたのは加瀬邦彦さんだったと聞きます。どんなご縁があったのでしょうか?

早川:柴田京子さんというモデルから紹介されたんです。当時、柴田さんとはフジカラーのテレビコマーシャルで共演していて、僕はスタイリトとして出演者の衣装も担当していた。けっこう評判良くて何年か続いていたんですが、それを見た加瀬君が「ああいう服は誰が選んでくるの?」って柴田さんに訊ねて、僕とつながったんですね。加瀬君とはセンスや考え方がよく合って、すぐ意気投合しました。

 加瀬君はちょうど「危険なふたり」で沢田研二さんのプロデュースを担当することになった時期でした。売り出しに一生懸命になっていたのですが、沢田さんがなぜか空手着で歌いたいということで、テレビにも一度その衣装で出てしまったんですね。それで困っていた加瀬君から「なにかもっと曲に合う衣装を考えてください」と頼まれたんです。

中将:沢田さんにはどんな印象を持たれていましたか?

早川:セツの先輩がグレープ・ジュースというバンドの衣装を担当していた関係で、一度だけ新宿ACBに行く機会がありました。沢田さんのことはその時に初めて見ました。まだザ・タイガースの時期で、僕は興味なかったんですけど「やっぱり他の人とは違うな~」という印象はありました。

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沢田研二に感じた体験したことない種類の魅力