中将タカノリ(以下「中将」):早川さんは1947年生まれ。戦後の目まぐるしい社会変化の中で育った世代ですが、どんな子供時代を過ごされたのでしょうか?

早川タケジ(以下「早川」):僕は4人兄弟の末っ子で姉が2人、兄が1人いました。裕福な家庭ではありませんでしたが、姉たちは「装苑」「ドレスメーキング」、兄は石原裕次郎や小林旭が出てるような映画の雑誌をよく買っていました。そういうのって読んでいると子供心にも面白いじゃないですか。あと近所にハーフモデルのはしりだった入江美樹さんが住んでいたんですが、それが生身の美しい人間を初めて見た経験で印象に残っています。

 僕は集団生活になじめなくて学校が好きじゃなかったから、年々勉強は出来なくなっていきました。でもそんな中、絵だけはずっと賞をもらっていました。中学2年の時には「映画の友」の投稿欄に銀幕スターの似顔絵を掲載してもらえたり。将来のこととかも何にも考えず、絵ばかり描いていました。

早川タケジさん(左)と筆者
早川タケジさん(左)と筆者

中将:ファッションの世界に足を踏み入れたきっかけは?

早川:高校1、2年くらいからアルバイトを始めたんですよ。銀座のデパ地下、新橋の餃子屋さん、田町のカレー屋さんとか…まかないが食べたかったから見事に食べ物屋さんばかり(笑)。それで貯めたお金で流行っていたアイビーの服を買い始めました。当時「みゆき族」って言葉があったけど、銀座でもみゆき通りと言うよりは松坂屋の周りにそういう若者が集まっていて、僕もその中にいました。そして高3の時だったか「メンズクラブ」のモデル募集に応募したら受かっちゃったんですよ。それが派手な世界に入ってゆくきっかけになりました。

中将:早川さんは数々のクリエイターや文化人を輩出したセツ・モードセミナーのご出身ですが、どのような経緯で入校されたのでしょうか?

早川:原宿セントラルアパートのベランダにモデルが5~6人並んで撮影する仕事があったんだけど、広角レンズで撮ったせいか端にいた僕がすごくいい感じのスタイルで映ってたらしいんですよ。それが長沢節先生の目に留まって「モデルに起用したい」と事務所に電話がかかってきました。

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「セツ」の人たちを見て直感的に面白いなと感じた