「これまでは、自民党政権の首相は、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎、安倍晋三とバトンが継がれてきた。4代とも父や祖父が首相や大臣経験者というおぼっちゃま政権。そのような2世にはこのコロナ時代の大乱世を率いていくのは難しい」

 菅氏は1948年12月、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)で生まれた。父親の和三郎はいちご農家で、父親が中心になって開発したので和三郎の名前を取って「ワサ」という品種のいちごが現在も生産されている。

「菅さんには、親がいちご農家だったから土の匂いがある。これからは土の匂いのある首相が必要。土の匂いということは、地方の匂いでもある。コロナですっかり、疲弊している地方経済を蘇らせるのは土の匂いのする政治家です」 

 菅は地元の高校を卒業後、秋田から単身で、家出同然で上京。東京・板橋の段ボール工場に住み込みとして働く。そんな生活を2年続けながら法政大法学部政治学科に入学した。入学金や学費を貯めるため、ガードマン、新聞社の記事運び、食堂の給仕など、様々なアルバイトを経験したという。 こうした経緯から"苦労人""叩き上げ"と呼ばれる。

 2世でもなく、平凡な生活をしていた 菅氏が、どのようにして首相の座を射止める道をひらいて行ったのか。

「菅さんはこれまで、『総理になるつもりはない』と言い続けてきたのは、衣の下の鎧を見せなかったんですよ。しかし、安倍総理は菅さんの実力はよく知っていて、衣を脱いだ時の強さはわかっていたはず。その菅さんと二階さんが組んだんだから、これは強いと思ったことでしょう。よく見ると、菅さんは笑顔の時ですら怖い目をしている」

 菅氏は官房長官を7年8カ月間している間に、霞が関の官僚たちを掌握していった。

「菅さんは会見で、『(霞が関の)縦割りの弊害をぶち破って、新しいものをつくっていく』と語っていたでしょう。官房長官が弱かったら官僚がバラバラになる。ところが、菅さんは官房長官として強過ぎるほどだった。官僚たちからの忖度まで起きた。普通ならば官僚たちと話を詰めて、安倍さんのところにもって行く案件をA案、B案、C案と3件に絞っていく。菅さんはさらにA、B、C案のうち、たとえば自分はB案がいいと思っていますと口にする。安倍総理はほとんど菅さんの決めたB案で承諾していたそうです。つまりは、安倍官邸がやっていた政治は、菅さんが支え役に徹して動かしていたということ。だから、安倍さんが辞めても、安倍政治を継承できるでしょう」

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二階氏と合わなかった岸田氏