尾木:黙認です。「ひどいよ」なんて口出ししたら、今度は自分がどうなるかわからない。はじかれる。子どものいじめと全く同じ構造です。昔はそういうことが起きにくかった。PTAや保護者、地域の方、外部の業者さんは自由に出入りしていたし、学校は地域に開かれていて、地域が学校を支える風土もあった。ところが、2001年に大阪教育大付属池田小学校で無差別殺傷事件が発生し、学校を閉鎖するようになった。監視カメラを付けたり、門を全部閉めたり、受付で申請してリボンやカードを身につけないと、多くの学校で中に入れなくなった。セキュリティー面では良くなったかもしれませんが、学校が地域や社会から閉ざされ、先生方のところに外の風が吹きにくくなってしまった。

佐藤:何ですか、それは? 先生には、自分がいじめているという自覚はないんですか?

尾木:自覚はないです。共感する感性がずれちゃってるからいじめてると思わなくて、新任の若いのを「ちょっとしつけてる」とか「かわいがっている」と。

佐藤:先生になる人ってのは、もっと知的なんだと思ってましたよ! 知的な人間が、自分に対する意識が向かないっていうことはありえないと思うけど! なんか一般の人よりも、劣化した人たちの集まりとしか思えないです。認識する力がないということになると、どうしようもない。手のつけようがないですね。校長は何してたんですか?

尾木:佐藤さんが子どもの頃の校長、あるいは先生方の姿とは、現在は一変しています。昔は、校長と教頭だけがえらくて、あとはみんな平等。みんなで協力して、不良の子をなんとかしようとか、いろんなことを協力してきた。でも、今は5、6段階の階級社会です。校長に始まり、副校長、主幹教諭、指導教諭、主任教諭、教諭(東京都の場合)とピラミッドになっています。

佐藤:何がよくて……何のためです?(苦笑)

尾木:こうなると、教諭は、自分のクラスのいじめについて、自分のことを校長・副校長に報告する主任や主幹には相談できません。さらに今は、教員も一人一台パソコンを持ち、みなパソコンで情報交換・情報共有しようということになり、教員同士のコミュニケーションも変化しました。

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