佐藤:そういうことで人間性というものがゆがんでいくわけですね。なんでそれを放っているんですか。

尾木:先生方も「これじゃできない」「やめてくれ」とか声をあげてほしいのに、全然あげない。学校は完全に管理社会です。

佐藤:私などが子どもの頃は、先生は尊敬するべき人たちだった。子どもはそう教えられ、先生自身にもそういう自覚がありましたよ。だから尊敬に値する人間にならねばという意識に支えられていたのでしょう。今は先生を尊敬している生徒っていないでしょ。先生の職務っていうのは知識を与えることだけになってしまったようですね。国語の入試問題で私の文章が問題文になることがあって、それを読むと、「作者は何を言いたいか?」という問題に対して三つくらいの答えが並んでいて、それにマルをつける。三つとも似たような解釈でしてね。どれにマルをつけてもいい、と思うようなものです。文章の読後感にマルもバツもないんでね。それぞれの読み方でいいと私は思ってるんですよ。だからマルバツではなく、各自の文章で書くべきです。先生の採点がらくだからマルバツ方式が考え出されたんですかね? これでは国語の力はつきませんね。

尾木:点数主義で歴史を重ねてきたら、とことんおかしくなった。やっぱりシンプルで手間暇かかるのが教育なんですよ。そこへ戻らないとだめですね。

佐藤:昔は人間の基礎を作るのが教育の目的じゃなかったのかしら。勇気とか正義とか、克己とか博愛とか、大切なことは知識ではなく人間力というか、人が生きる上での基礎。

尾木:今はそういうビジョンが弱くなっている。ビジョンがないと、教育は成り立ちません。たとえ国や自治体がしっかりしていなくても、校長がみんなと決めればいい。ビジョンを掲げ、そっちに向かってみんなが生きていけばいいんです。

佐藤:だけど今は知識を与えるところで止まっちゃってますからね。またその分量が多すぎるように、私なんか勉強ができない人間は思いますよ。

次のページ