佐藤:そんなの考えるまでもなく、許可しないほうがいいに決まってますよ! 自分の名前を出さずに、言いたいことを言えるらしいですね? そうするともの知らずが偉くなった気分になっていくのが、これ、ちょっと困りません?

尾木:ぼくも顔と顔の見えるコミュニケーションが基本だと思うんですね。子どものスマホ使用については正しく判断しないと、本当にだめになると思う。

佐藤:大人の世界はともかく、この頃は子どもにも他人(ひと)の気持ちをわかりなさいと教えているようだけど、気持ちをわかりながら遊んでる子どもなんて、ろくな育ち方じゃないと私は思うんですよ。子どもは無邪気、単純でいいんじゃありません? 喧嘩したければするがいいし、子どものエネルギーを発散させてやれば、陰湿ないじめをしなくなるんじゃないですか。昔の子どもに今のようないじめはなかった。代わりに大いに喧嘩してました。大いに暴れてた。今の子どもは、とっ組み合いの喧嘩や殴り合いはないでしょう? 何でもかんでも暴力はいかんということになれば、エネルギーが内攻する。いじめをなくさせるには、大いに殴り合いをさせればいいんですよ。しかし困ったことには、その殴り合いをする力がなくなっている。今は「子どもの自然」というものを無視してるように見えます。

尾木:見えますね。これも、学校の先生は「好きでやってるんではない」っておっしゃるんですよ。親からクレームがつくから、クレーム対応でそういう批判を浴びないために、きめ細かく対応せざるを得ないんだ、と。

佐藤:先生は親のせいにし、親は先生のせいにする。人のせいにするのはやめてほしい。親から文句や注文がきても、堂々と主張すればいいと思うんですけどねえ。

尾木:先生と親の立場が逆転したな、とぼくが思ったのは1998年ぐらい。というのは、大学卒の親が増え、感性も親のほうが良くなってきて、学校に意見を言えるようになってきた。

佐藤:もっと気になるのは、今の男の子に元気がないことです。

次のページ