「ジャンルがわからない」と嘆かれたYMOが世界デビューした経緯 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ジャンルがわからない」と嘆かれたYMOが世界デビューした経緯

連載「RADIO PA PA」

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延江浩週刊朝日#延江浩
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は細野晴臣さんの才能について。

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 細野晴臣さんとの(一方的な)出会いはイエロー・マジック・オーケストラだった。大学時代、アルバイト先の西武百貨店バーゲン会場で繰り返し流れていた。テクノカットに赤い人民服のアルバムジャケット。そういえば、ロバート キャンベルさんも20代の頃、ツバキハウスでYMOで踊りまくったと懐かしむ。

 キャンティの川添象郎(しょうろう)さんは、YMOを世に送り出したプロデューサーである。

「(ロック・ミュージカル)『ヘアー』をプロデュースしていた時に(キャストの)小坂忠が連れてきたの。凄い才能があるミュージシャンだからって。何気なく僕のギターを弾いたらとても格好良かった。おしゃれで、確かに才能があるって」

 細野さんがYMO構想を打ち明けたのもキャンティだった。

「情熱的という印象はなかったから意外だった」と川添さんは回想する。「いつも小さい声でぼそぼそだから、余計印象が強かった」「(細野さんが見せてくれたのは)富士山が噴火している絵だった。それを眺めながらマーティン・デニーの『ファイアークラッカー』をディスコっぽくアレンジしてダンスミュージックをヒットさせようって言う。日本のミュージシャンがコンピュータを使ってアメリカのヒットチャートを駆け上がるんだって」(高橋幸宏 BS朝日2016年7月30日放送)

 世界で400万枚売ると細野さんは豪語したが、音源を聴いたスタッフは「ニューミュージックかジャズか、歌謡曲なのかロックなのか、ジャンルがわからないからラジオでかからない」と頭を抱えた。しかし、5度のグラミー賞受賞のプロデューサー、トミー・リピューマが「面白い! 行ける」と全米デビュー、世界に羽ばたく。

 細野さんの半生をメモリアル展示するデビュー50周年記念展が「細野観光1969‐2019」。あった!と僕が小躍りしたのがローランドのVP‐330。肉声をロボットヴォイスに変換するもので、YMO「テクノポリス」の“TOKIO”の声を生んだ楽器だった。「エイプリル・フール」のベーシストとして東大闘争の69年にデビュー、大阪万博の70年「はっぴいえんど」、73年ソロ活動と同時に「ティン・パン・アレー」、78年にYMOを結成、世界ツアー後、再びソロに。


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