前出の小菅さんは、まだ30代だったジャニーさんが、自分には3つの夢があると語ってくれたことがあったと言う。

 ひとつは、ジャニーさんが気に入った少年たちを集めて宝塚方式に、年齢やキャリア別にメンバーを振り分け、一つのステージを作り上げていくこと。そういったスタイルはほどなく確立された。ジャニーズのステージでは、前列にデビューしたグループやJr.のトップのグループがいて、中列、後列に後輩が並ぶ。

「ふたつ目は、ゴールデンタイムのテレビ番組に、所属タレント全員を出すこと。3つ目が、自分の作品の公演もできる専用の劇場を持つこと。これも、東京グローブ座でかないました。ジャニーさんは『見てて、今に僕、全部やるから』と断言しました。当時は全然信じられませんでしたが、本当に全部実現しましたからね」(小菅さん)

 希代のプロデューサーを失ったジャニーズ事務所。その存在はあまりに大きく、今後の行く末を心配する声もあるが……。

 ジャニーさんが最後まで命を懸けていたのはジャニーズJr.と呼ばれるデビュー前の若手たちの育成だった。6月18日に倒れる前日もジャニーズJr.の番組収録に立ち会っていたという。

 国分は7月10日、MCをつとめる情報番組「ビビット」で、ジャニーさんを、ジャニーさんが好きだった野球にたとえて「ジャニーさんは2軍の監督だと思う。1軍ではない。2軍には若手たちがいるじゃないですか。基礎や精神論を教えた。1軍にあがるときにはもうプロフェッショナルになっている自分たちにあとは自分で考えてやりなさいというような精神を教えてくれた」と語った。

 長年ジャニーズを取材してきた朝日新聞記者は、Jr.について明かす。

「ここ5年ほどで格段にレベルアップ。SixTONES、Snow Man、Travis Japan、HiHi Jets、美 少年など、デビュー前なのに単独コンサートを開く人気ユニットがいくつもあり、歌もダンスもうまく、スタイルもよい。K-POPのように海外に通用する実力も備えています。本人たちも世界を見据えているのが特徴です」

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