帰国後は在日米軍関連施設に居を構えていた。近くのグラウンドで、ジャニーさんは少年野球チームを結成。チーム名は「ジャニーズ」。62年、映画「ウエスト・サイド物語」に影響され、日本で本格的なミュージカル公演を目指し、選手の中から4人抜てきし、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成、5歳上の姉・藤島メリーさんと、ジャニーズ事務所を創設した。

 週刊誌記者としてジャニーさんと密接に関わった時期があり、著書『異能の男ジャニー喜多川』などがある作家の小菅宏さんは、ジャニーさんの「僕は12、13歳の少年の顔を見れば、彼が40歳になったときの顔まで想像できる」という言葉が忘れられないそうだ。

「その将来を見いだすことができる少年こそが、僕にとっての『仲間』なんだと言っていました」

 この言葉を裏付けるように、フォーリーブス、郷ひろみ、田原俊彦近藤真彦、少年隊、SMAP、KinKi Kids、嵐など、数多くのトップアイドルが輩出した。2011年にはその功績が、ギネス世界記録にも認定された。

 芸能プロ関係者は言う。

「男性アイドルというジャンルを育てた第一人者。芸能界に大きな功績を残したと思います」

 ジャニーさんには、タレントの育成に独自の「哲学」があった。朝日新聞のインタビュー(17年)で、最も重視するのは「やる気」だと答えている。

「顔で選ぶんですかとよく聞かれますが、たとえば井ノ原(快彦)はジャニーズ顔ですか? 彼も朝の番組でがんばっていますが、要は、本気で闘っているかどうか」

 11年のインタビューでも、次のように話している。

「大切なのはルックスよりやる気。光GENJIを結成する時、彼らにローラースケート滑れるの、と聞いたら『滑れない。でも楽しそうだからやってみたい』と。で、1時間後にはスイスイ滑ってる。好きこそものの上手なれ、です」

 その代わり、芸には厳しく、評価に手加減はしない。Hey! Say! JUMPの薮宏太も、14年の「AERA」のインタビューにこう答えていた。

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