国分太一は、今回、次のようなコメントを寄せた。

「僕の心の中には『YOUやっちゃいなよ』という言葉がずっと胸の中にあります。この言葉で、新たな挑戦が出来るようになったんだと思っています。感謝しかありません」

 小菅さんは言う。

「『ユーはできる。できないんじゃない、ユーはしないだけなんだ』とよく言っていました。その言葉が後押しになったと、みな異口同音に言っていました」

 ジャニーさんといえば、舞台。「PLAYZONE」「SHOCK」「DREAM BOYS」「少年たち」「滝沢歌舞伎」……舞台への情熱なくして、ジャニーさんの半生を語ることはできない。

 11年の朝日新聞インタビューでこう語っている。

「ブロードウェーに負けたくないという気持ちでやってきました。ブロードウェーあってのショービジネスと言われるけれど、日本から世界に認められるショーを発信していきたい」

 映画演劇評論家の萩尾瞳さんは、舞台人・ジャニー喜多川について、「若いころからブロードウェーミュージカルがお好きで、早い時期から独自のミュージカルを作ろうとなさっていたのが非常に大きな功績です。日本のミュージカル史の一端を担いつつ、ラスベガスのショーの要素も盛り込んで他とは違うオリジナルミュージカルを作り上げていきました」と語る。

「ステージングや舞台転換のうまさはもちろん、舞台機構を駆使されるのもセンスを感じます。青山劇場や帝国劇場の舞台機構を最もうまく使いこなされていたのではないでしょうか」

 こだわったのは「本物」に触れること。機会があるごとに最先端の技術だけでなく、旬の作曲家や演出家を海外から連れてきた。

「『ドリームガールズ』の作曲家ヘンリー・クリーガーや、マイケル・ジャクソンの振り付けを担当したマイケル・ピータース、現在はその弟子にあたるトラヴィス・ペインなど、旬の人、最先端の人を海外から連れてきたりする。その目配りやアンテナ、しかも本当に頼めるという人脈と人柄にも、舞台にかける思いを感じます」(萩尾さん)

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