『元唄 ~元ちとせ 奄美シマ唄集~』は、このような自分の原点を再確認するチャンスにもなった。

「デビューして東京で活動をすると、たくさんのコンサートを観るようになりますよね。さまざまなアーティストの歌を聴き、魅力を感じ、意識的にしろ、無意識にしろ、そこから何かを取り入れようとします。すると、だんだん本来の声を自分を見失うというか、自分の歌がよくわからなくなってくるんです」

 デビューし10年のときにシンガーとして体のメンテナンスを行ったことも、迷いにつながった。

「使い続けているのどのケアをしなくてはいけなくなり、2週間声を出さない時期がありました。そうしたら体の筋肉が落ちて、声が抜けるようになってしまったんです。自分の声を取り戻そうとして迷いが生じて、苦しい時期を体験しました。体全体で歌うすべを身につけ、のどを管楽器のリードのように使えるようになったのは昨年です。そのタイミングで今回自分の原点、シマ唄をレコーディングできたことはほんとうによかった」

 元に三味線を教えてくれた隣の家のお兄ちゃんは、ほどなくしてこの世を去った。

「若いうちに都会へ出て、お酒を飲んで炬燵で亡くなっていたそうです。でも、今もお兄ちゃんのあの素晴らしい三味線の音は私の頭の中で鳴っています」

 お兄ちゃんの三味線の音を再現したいと、ずっと思ってきた。

「でも、どうやってもできないんです。三味線はすべての弦をバチで鳴らすわけではありません。手でも弦をはじくんですよ。今ならばお兄ちゃんの技術を目で盗めるけれど、習ったときの私は子どもだったので、微妙な手わざをしっかり見ていないんですよ。いまだに私には出せない音がたくさんあります」

 武下さんとは一度対面している。デビュー前、元が大阪で美容師をしていた19歳のときだ。尼崎に住む武下さんを行きつけのスナックに訪ねると、カラオケで北島三郎の『風雪ながれ旅』を歌っていた。

「ご挨拶をしただけで、それ以上私からは何も話さず、ドリンクも飲まず、ほんの5分ほどのスナック滞在でした」

 そのとき、武下さんからべっ甲でできたバチを贈られた。

「もし今後自分の歌を最高だと感じることがあったら、そこで歌うのはやめなさい」

 武下さんは元に言葉も贈った。

「自分の歌を最高だと思ってはいけない、死ぬまで最高を目指して努力を重ねろ、という教えであり、励ましでした。あのとき以来、私はずっと武下さんからいただいたバチで三味線を弾き続けています」

『元唄 ~元ちとせ 奄美シマ唄集~』も、元が武下さんから受け継いだバチで演奏している。世代を超え、時代を超え、引き継がれていく奄美の音が収録されている。
(神舘和典)

※週刊朝日オンライン限定記事

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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