──脱退と引退は今日を持ってということではない?

「いや、そういう細かなことはちょっとわからないんですけども、僕としましては、もう、お仕事をいただいているところだったりあると思うので、脱退はいつ、今日ということはちょっとわからない。これから事務所と話させていただかなければならないんですけども。僕としましてはそういう気持でいます」

──純烈の一番の思い出は?

「やはり、去年、念願の『紅白』に立てたことと、歌える場所がデビュー当時、全くなくて、キャバレーでまわらせていただいた思い出だったり、数えきれない。楽しかったことももちろん、一杯記憶にあるんですけれど、辛かった時の方が濃く、自分の中では残っております」

──確認ですが、A子さんとは代理人弁護士同士で連絡を取り合っているということですね。

「A子さんに関しましては、今、協議中です」

──誓約書を書いた後、協議中と。

「はい」

──B子さん。3000万円を返したのは、今回の騒動が公けになってから?

「返済をしたのは去年ですね」

──今回の報道の前ですか。

「はい、去年、B子さんと代理人の先生を交えてお話させていただいた時に、去年、返済の方は終えております」

──何月ですか。

「具体的にはちょっとお答えすることができないですが」

──A子さんとは4年前に誓約書を書いた後に、代理人を通して、何を話し合ってきたんですか。

「それもちょっと、あの、個人的なことなので、ちょっとここで細かなことをお伝えすることはできないんですけれど」

──純烈ってどういう思いが込められたグループ名なんですか。

「みなさんもご存じの通り、『夢は紅白、親孝行』というキャッチフレーズがありますよね。今回、この件に関して、どこが親孝行なんだよ。むしろ、親を不幸にさせているんじゃないか。反する行動をしてしまっているので、やっぱり、そういう部分も踏まえた上で、純烈というグループはお仕事しないといけないグループだと思ってます」

──愛の唄とか恋の唄を歌う時、どういう気持で歌っているのか。

「歌の世界とか、ムード歌謡って恋愛だったり、男女の愛だったり、いろいろとあると思うんですけれども、その中で思うのは、僕が今、これまで今回の件でしてしまった付き合い方、愛というのは結果、人を思いやる愛する答えではなかったんだなと思います」

***
 スタッフが「みなさん、よろしいでしょうか」という声とともに会見が終了した。終わる前に、友井はもう一度深々と直角姿勢で頭を下げて、会場を出て行った。
それから30分ほど経過。会見場となった品川区内のビルの中で、記者が記事を書いていると、ドアの向こうから、マスクをとって、友井が笑顔を浮かべ、「みなさん、きょうはありがとうございました」と頭を下げ、去っていった。
(本誌 上田耕司)
※週刊朝日オンライン限定

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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