(イラスト/阿部結)
(イラスト/阿部結)

 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「スマート」。

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 かつて「スマート」とは、スタイルがいいという意味で使われる言葉であった。

 八頭身で手足が長い。つまり、映画俳優のような体つきで、しかも洒脱な立ち居振る舞いができる人こそ、スマートな人であった。

 であるから、幾多の級友から「お尻の下はすぐかかと」などと囃され、ズボンの裾上げをする度に15センチも生地を切られるのでその分のお金を返して欲しいといつも思っていた(今も思っている)大センセイには、トンと縁のない言葉だったのである。

 だが、近頃スマートが変わりつつあるらしいのだ。

 先日、ある若い編集者と話していたら、めったやたらとスマートを使うんである。

「つまりプラットホームを作ってやるだけで、スタートアップの連中が簡単にスケールできるわけですよ。ねっヤマダさん、スマートでしょ。わかります?」

(全然、わかりません)

 スマートフォンはもとより、いまやスマートはさまざまなモノと一緒になって一大勢力を形成しつつある。スマートウォッチ、スマートスピーカー、スマートシティー……。

 大センセイ、横文字だらけのスマート君の話に必死で食らいつきながら、いったい彼がどんなニュアンスでスマートを使っているのかを理解しようと試みた。

 体型の形容でないのは明らかだったが、さりとて単純に「賢い」という意味でもないらしい。そして、一時間以上にもわたる、砂を噛むような会話を重ねた果てに、大センセイ、現代的スマートの本性を、ハタと大悟なさったのであった。

「曰く、フォーク並び也」

 よく、ATMやコンビニのレジの前の床に、フォークみたいな絵が描いてあるのを見かけると思うが、あれこそまさに、現代的スマートの象徴だったのである。

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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