――理詰めで見つかったAIDと、偶然発見されたPD-1。自然科学研究の両面が垣間見えます。

 偶然を見逃さないことも、科学研究では大切です。

■論文はまず、疑ってかかること

――STAP細胞問題によって、日本の科学に対する海外からの信頼が揺らいだりといった影響はありますか。

 そこまでのことはないと思います。ただし、理研は、世間一般の人の信頼を損ねたという点で、かなりダメージがあったはずです。逆に言うと、警鐘を鳴らしたことにもなります。理研の特に生物系が、揺らいだ信用を回復するには、時間がかかるでしょう。

 しかし、発表後に論文が誤っていたと分かることは、実は珍しいことではありません。論文が発表されると、すぐそれが正しいと思う人が多いのですが、論文の7割ぐらいは誤りでしょう。STAP論文が大問題となったのは、理研が大がかりに宣伝し過ぎ、さらにマスコミがそれに乗り過ぎたことです。

――Nature誌の論文が誤報ではないかと、かなり早くから看破されていましたね。

 STAP細胞の論文が発表されて、しばらくして教室員とともに読みましたが、これは間違いだろうと思いました。

 論文中には、刺激で生じたSTAP細胞を含む細胞集団に、T細胞受容体(TCR)遺伝子が組み換えを起こしたT細胞が混在しているとありましたが、STAP 細胞から再分化させた奇形腫やマウスの細胞中TCRのデータはずさんで存在しませんでした。物理的刺激や酸にさらすことで、STAP 細胞に変化したとする科学的根拠が提示されていません。論文の裏事情についてはあまり知りませんが、論文だけの評価でそう感じていました。

――臨床のご経験はなしに、研究に進まれたのですか。

 当時はインターン制度がありましたが、我々はインターン闘争でボイコットした学年ですから、患者さんを診たという経験はほとんどありません。

――研究を患者さんに還元することに重きを置かれますか。

 基礎研究とは言っても医学ですから、そういう機会があれば非常に良いなと常に思っています。PD-1の時は、ひょっとしたらこれが治療の役に立つかもしれない、ぜひやってみようと進めていったのです。

 日常で治療に直接関わったり、患者さんと接する機会はありませんが、患者さんから感謝の手紙をいただくことはあります。

――臨床現場の医師へのメッセージはありますか。

 臨床は、非常に重要なシーズの源泉です。多くの遺伝病や、骨髄移植で見いだされた主要組織適合遺伝子複合体(MHC)などは、臨床における大発見で、それが医学のみならず生物学にも影響を及ぼしています。

 臨床の先生方が、先入観を持たずに丁寧に観察し、患者さんの真の問題を探ることはとても重要だと思います。現象の背後にあるものを見つけて、新しい治療や原理につながることはしばしばあります。医学は、まだ分かっていないことのほうが圧倒的に多いのです。

――今後の抱負をお聞かせください。

 研究者としては、現在のPD-1治療で効かない人を効くようにすることが、一番の目標です。先端医療振興財団理事長としては、ようやく企業集積もできてきたので、新しく世界に発信できるような仕組みができ、現実的な製品が形になることを望んでいます。

聞き手/塚崎朝子(医療ジャーナリスト)

◯本庶 佑(ほんじょ・たすく)
1942年京都府生まれ。66年京都大学医学部卒業。71年京都大学大学院医学研究科修了、米国カーネギー研究所発生学部門客員研究員。73年米国立保健研究所(NIH)分子遺伝学研究室客員研究員。74年東京大学医学部助手。79年大阪大学医学部教授(遺伝学教室)。84年京都大学医学部教授(医化学教室)。95年京都大学大学院医学研究科教授(分子生物学)。96年京都大学大学院医学研究科長・医学部長。2006年内閣府総合科学技術会議議員。12年静岡県公立大学法人理事長。15年先端医療振興財団副理事長を経て理事長。1985年ベルツ賞、2012年ロベルト・コッホ賞、13年文化勲章、14年唐奨など受賞多数。2018年10月、ノーベル医学生理学賞受賞

※2016年4月号「メディカル朝日」のインタビュー記事から抜粋