京都大学の本庶佑特別教授(76)がノーベル医学生理学賞を受賞した。日本人としての同賞の受賞は2016年大隅良典氏以来、2年ぶり。1970年代に着手した免疫抗体の多様性の研究では次々と本質に迫り、免疫の「司令塔」であるT細胞の表面に免疫活動のブレーキ役である免疫チェックポイント分子「PD-1」の発見につながった。ここでは受賞を記念し、医療従事者向けの医療誌「メディカル朝日」で2016年4月号に掲載した本庶特別教授のインタビューを紹介する。
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――日本において、基礎医学研究を臨床につなぐ橋渡しの課題は何ですか。
創薬のターゲットや再生医療など、アカデミアからのシーズは、色々と出てきていると思います。ただ、基本的な問題は、それを産業化する力が弱いことです。日本の製薬企業は、世界的に見れば規模が非常に小さく非常に力が弱いため、いわゆる“目利き”の人材が育っていません。もっと集約していくべきでしょう。
もう一つは、産業化できたものがあっても、その成果をアカデミアに還元するサイクルがありません。Win-Winのポジティブな関係を作っていかなくてはいけないと思っています。
――産業化できずに、果実を海外にさらわれた例はたくさんありますね。
我々が発見したPD-1(Programmed cell death-1)のような大型のシーズは10年に一度あるかないかで、そう頻繁に出てくるわけではありませんが、日本全体では数年おきに新しいシーズが生まれています。
また、芽まで育てたのに、最後の所で海外に持っていかれたという例も数多くあります。例えば、東京大学の間野博行先生は肺がん原因遺伝子を発見しましたが、最初の薬は海外の製薬企業から発売されました。
――先端医療振興財団は、そのような橋渡しがミッションですか。
個別シーズを製品開発につなぐ役割もありますが、財団があるポートアイランドの「神戸医療産業都市」には約300社の企業・団体が集積しており、アカデミアや行政との間の、あるいは企業間の仲介役として、新しい産業を興すことを目指しています。阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市が、それを目的に構想したのが発端です。