石弘光(いし・ひろみつ)1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など
石弘光(いし・ひろみつ)1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など
在宅の日、天候に関わらず雑司ヶ谷墓地でウォーキング。格子に張り巡らされた小路を順次たどる
在宅の日、天候に関わらず雑司ヶ谷墓地でウォーキング。格子に張り巡らされた小路を順次たどる

 一橋大学名誉教授の石弘光さん(81)は、末期すい臓がん患者である。しかも石さんのようなステージIVの末期がん患者は、5年生存率は1.4%と言われる。根治するのが難しいすい臓がんであっても、石さんは囲碁などの趣味を楽しみ仲間と旅行に出かけ、自らのがんを経済のように分析したりもする。「抗がん剤は何を投与しているのか」「毎日の食事や運動は」「家族への想いは」。がん生活にとって重要な要素は何かを連載でお届けする。

【写真】在宅の日、天候に関わらず雑司ヶ谷墓地でウォーキング

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 がん生活を続けるにあたり、日常的に何が重要なのか。私の経験上、それは食事、運動そして体重のチェックだと思う。このなかでも、食事の重要性が多くの人によって語られている。「食べられなくなったら終わり」という声もよく聞く。

 前述したように、私とほぼ同じ時期にすい臓がんに罹患した2人の知人は、闘病1年前後で他界された。共通して言えることは、食欲不振から食べられなくなり自分で栄養を摂取できなくなったことだ。栄養補給が自力でできなくなった結果、がんと闘う基礎的な体力が喪失したわけである。

 抗がん剤治療を始め、毎日の生活で最も変わったことは、以前にもまして1日3度の食事に気をつけだしたことである。抗がん剤を投与することで、体重の減少が顕在化してきた。というのもがんになると、いくら食べても吸収した栄養をがんが横取りしてしまい、全身がやせていくからである。
 
■主人の命がかかっていると思考を変えた家内

 がんが発覚して以来、家内は3度の食事の準備に今まで以上に気を配り、私にいかに食べさせるかに努力を傾注しだした。前々から食事に関心があった家内だが、単なる食べることを楽しむといったレベルから、主人の命がかかっていると思考を変えたようである。

 がんが見つかり、抗がん剤治療を始めた当初は体重の減少が激しくて、一夜で1.5~2.0キロも減量が起こる有り様であった。そこで3度の食事をしっかり取り、これに備える必要が生じてきた。やはり肉を食べないと体重が増えないことから、肉を中心としたたんぱく質を多く摂取するようになった。
 

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石弘光

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石弘光(いし・ひろみつ)1937年東京に生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院を経てその後、一橋大学及び放送大学の学長を務める。元政府税制会会長。現在、一橋大学名誉教授。専門は財政学、経済学博士。専門書以外として、『癌を追って』(中公新書ラクレ)、『末期がんでも元気に生きる』(ブックマン社)など

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