再生プロジェクトは大きく前進した。何事も初めから駄目と決めつけずにやってみるものだ。ただ、石山が小鹿野高校野球部に赴くといっても、肝心の部員がそろわなければ始まらない。プロジェクトの当面の目的は町外から少しでも野球に秀でた生徒の越境入学の受け入れである。しかし、学校に寮があるわけでない。町に昔ながらの下宿屋があるわけでもない。中学出たての今時の子供が、アパートで自炊生活ができるわけがない。

 たとえ越境入学希望者がいても、彼らの受け入れ先が確保できなければ元の木阿弥である。そもそも埼玉の県立高校は基本的に自宅通学であり、プロジェクトの前提はこの基本を打ち破って新たな制度を設ける必要があったのだ。そこで提案されたのが山村留学制度導入で、小鹿野高校は埼玉県で初めてこの制度にこぎつけたのである。

「須崎旅館の大女将の決断がなければ自分は小鹿野には行かなかった」(石山)

 須崎旅館は町の中心にある明治創業の老舗温泉旅館だが、大女将の須崎安子は山村留学の生徒たちを破格の待遇で受け入れることを二つ返事で了承したのだ。

「だって、ここで石山さんを逃したら町の発展はないでしょう」

 寮でも下宿屋でもない老舗温泉旅館が山村留学生の受け皿となり、これでプロジェクトをさらに進めていく一応の体裁は整った。

 石山は2012(平成24)年4月からの正式契約を前に、前年の夏に初めて野球部のグラウンドに足を踏み入れた。

「……」

 言葉を失った。目の前に広がるのは野球のグラウンドとは名ばかりで、内野部分を除いてはほとんどに草が生い茂り、外野にいたってはボールが入り込めばゴルフ場の深いラフよろしく消えてしまうばかりか、キリギリスでも捕獲するかのごとく、しっかりと腰をかがめて探さなければならないほど深い緑に覆われていた。

「ここで野球をやれというのか……。これこそまさに草野球だ」

 ある程度の覚悟を決め込んでの外部コーチの受諾だったが、想像をはるかに超える現状を突きつけられ、先が思いやられた。

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