会議のメンバーで同窓会長兼同校野球部OB会長も務める渡辺政治が音頭をとってバスをチャーターし、町の有志30人と共に、和歌山県日高郡の旧中津村(現・日高川町)へと向かった。同村の県立日高高校中津分校の視察だった。山間の学校が野球を通して地域に溶け込んでいるとの情報から、小鹿野再生のヒントを見いだそうとしたのである。

 中津分校の在校生の男子のほとんどが野球部員で、女子はマネジャー。97(平成9)年の春の選抜大会に、分校として史上初の甲子園出場を果たし、これまでにプロ野球選手を5人誕生させている。

「『これだ!』と思った。村にはコンビニが一つもなく、小鹿野が都会に思えるほど、かなり田舎だったが、観覧席のあるグラウンドでは高齢の住民が、孫ほどの年齢の高校生がプレーする野球を楽しんでいる。高校には寮も完備され、全国から生徒が集まり、熱気がビンビンに伝わってきた」(渡辺)

 一行は小鹿野再生のモデルケースとして視察の成果を手にし、再生プロジェクトへのかじを切った。

 もうひとつのテーマ。それは指導者の招請である。

「石山さんはどうか?」

 野球部の監督を務める斉藤友一が校長に直言した。

「石山?」

 校長はすぐさまパソコンをたたいて検索し、ため息交じりに言った。

「こんなすごい人がうちに来てくれるわけないだろう」

 石山建一。静岡高校野球部主将として甲子園で準優勝し、早稲田大とプリンスホテルでは監督を務めて日本一に導き、さらに巨人の長嶋茂雄監督から三顧の礼で2軍統括ディレクターとして迎えられ、若手育成を担った。

 阪神で活躍した岡田彰布やヤクルトの宮本慎也は教え子であり、全日本監督として野茂英雄と古田敦也の黄金バッテリーを帯同し、キューバ遠征もしている。他にも実績を数え上げたらきりがない。全国の高校から「短期でもいい」と指導の依頼が殺到し、受けた高校は間を置かず甲子園を狙えるところまで力をつけてきた。

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