社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一氏が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「ブルーフィルム」。

 ブルー(青)という言葉は、実にさわやかなイメージを持つ。空、海、サッカー日本代表も……。でも、ごめん。今回のブルーは、ちっともさわやかじゃない。男たちの情熱だけは、ほとばしっているのだが。

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 制作終了から28年。日本映画史に堂々たる時代を築いた成人映画レーベル「日活ロマンポルノ」の新作が11月から順次公開されている。NHKのBSドキュメンタリー番組でも特番が組まれ、「えっ、本当に?」とちょっとした話題になっている。若い女性の関心も高まっているというのだが、私なぞは「もっと昔にも目を向けてほしい」と声を大にして言いたい。

 かつて「風俗小型映画」と呼ばれるジャンルがあった。性的、わいせつな映像作品を指す俗称「ブルーフィルム」(16ミリや8ミリ)と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 昭和27(1952)年から昭和31年くらいまでが全盛だったとされる。朝鮮戦争の特需景気で沸いていた時代がすっぽり入る。日本人の性意識も大きく変わっていったのだろう。東京の浅草や吉原周辺には、常設上映場が10カ所以上もあったといわれている。戦争に勝っても負けても、この手のものは廃りがない。スケベに対する人間の執念はすさまじい。

 小料理屋や旅館、温泉宿の奥座敷が主に使われていたが、民家の2階を「秘密の会場」にして、カタカタと鳴る大きな映写音を気にしながらの上映会。焼け跡の空き地のほか、銀座の高級クラブでも「出張上映会」が開かれた。あのころの映写機は相当な重量があり、フィルム包みもかなりかさばった。助手を従えて「ヘイ、毎度」と頭を下げて会場に現れたというから、ご苦労様である。

 見せるほうも「特殊な専門家」なら、見るほうも選ばれた上客ばかり。まさにエロ界のプロとプロの勝負である。

 それにしてもなぜブルーフィルムというのか。その由来は明らかではない。「帯(おび)」という隠語で呼ばれたこともあったが、映像はもともと白黒(モノクロ)である。画面が青みがかっていたのだろうか。

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