当時は出版社系の週刊誌が続々と創刊され、エロ系の記事が読者の人気を集めていた。「コールガール」「ステッキガール」など横文字を気取った呼称がもてはやされていた時代。とはいえ、大衆芸能の聖地・浅草では、ブルーフィルムとの名称よりも、昭和初期以来の伝統ある呼び方「エロ映画」のほうがなじみがあったそうである。

 いかんせん、映像の質は悪く、ぼかしだらけの作品も。何を映しているのかわからない代物もあった。それでも、昭和33(1958)年4月1日の売春防止法完全施行を前に、ブルーフィルム業者への摘発も強まった。

 ブルーフィルム制作にかかわった貴重な証言がある。風俗ライター・吉村平吉著『吉原酔狂ぐらし』によると、戦前に海外から密輸入された諸作品の中には、東京大空襲などの戦禍を免れて、宝物のようにして保存されていたものもあったらしい。

 古典的名作の一部を紹介すると──。

「額ぶち」……洋物作品。壁にかけてある額縁の絵の女性が、その下で展開されるベッドシーンに刺激され、動き出して額を抜け出す。その後、どうなるかはご想像にお任せしよう。

「TAX」……税金を取り立てにきた徴税吏に対し、事務員風の女性が肉体で支払おうと誘惑する物語。

「山小屋」……新婚だか旧婚だかわからない男女が山小屋に泊まるだけという珍しくも何ともない内容。

「鍵穴」……フランス作品。ホテルのボーイが各部屋のカップルの痴態を次から次へとのぞいていく。

 文章にすると、どぎつい趣向のようだが、昨今のアダルトビデオに比べると、おとなしい内容だった。

 観客層も広がり、必然的に新作への需要が高まり、制作の専門家も現れるようになった。“闇の最高傑作”と評されているのが「風立ちぬ」。似たような名前の文学作品やアニメ映画を思い起こしてしまうが、下川耿史著『男性の見た昭和性相史』によれば、こんな物語だった。

〈舞台は茨城県の水郷地帯・潮来。葦の間に和舟が一艘。そこに乗っていた黒いフンドシの青年が、もどかしげに娘のズロースをはぎとる。と、そこへ別の舟が……〉

次のページ