迫氏によると、新井はシーズンオフに「夏場に耐える体作り」と「長打力の復活」をテーマに掲げ、元日にもウェートトレーニングに取り組んだ。人体力学の専門家に教えを請い、人体を構造的にとらえ、理論的に体を作った。

「節制してすべてを野球に捧げる生活を送ってきたんです」(同)

 球団側にも新井のモチベーションを引き出す工夫がみられた。「積極的休養法」はそのひとつだ。新井を休ませながら、上手に能力を引き出した。

 迫氏は言う。

「長時間にわたって猛烈に働かせる企業は見習うべきですよね。ベテラン社員の能力を生かす制度や働き方を整える必要性を学ぶことができるでしょう」

 新井の復活劇は、黒田の存在なくして語ることはできない。

 スポーツ紙デスクは語る。

「新井のカープ復帰は黒田の復帰より先に決まりましたが、あれは黒田の復帰含みだったとも言われています。彼らは仲が良かったですからね」

 1991年以来四半世紀ぶりのリーグ優勝に向かって突き進んだ要因を聞いていくと、ベテランの野球記者はこう答えた。

「投では黒田、打では新井の存在が大きくて、若い選手の生きた教材になっています。ドジャースに移籍した前田健太の穴を埋めた野村祐輔は、黒田のおかげで成長しました。すべては黒田の復帰から始まったことだと思いますよ」

2014年12月末の“ヤンキース(当時)の黒田投手の広島カープ復帰”というニュースは衝撃だった。メジャーでプレーすれば年俸20億円は下らない、と評価されていた男である。それが広島に復帰する際の条件は年俸4億円(以下、年俸の金額は全て推定)で、収入が5分の1に減っても古巣に戻ってプレーするという黒田の決断は“男気”とたたえられた。

 このニュースは一方で、長い間、「貧乏球団」と揶揄されてきたカープが4億円も払って大丈夫なの?と受け取られた。

 堅実経営のカープでは選手年俸総額に限度額があり、個人の年俸は最高2億円の枠がある、と言われた時期があった。

 某有名選手がFA宣言するか否か迷っていた際、「カネがない」と言うフロントに「だったら銀行で借りてくればいいのでは」と訴えても、「それはできない」と断られて移籍を決断、なんて話が漏れ聞こえてきたのも、さほど昔ではない。

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