永田:五七五七七という形式と、文語定型を基本としている点は同じ。でも、歌を詠むときの姿勢はかなり違います。特に中世の新古今和歌集のころは個人が勝手に詠むことは少なくて、歌会などで天皇が出すお題に沿って詠んでいました。そこで大事にされたのは、いかにみんなが同じ思いで和することができるか。たとえば、梅には鶯(うぐいす)と決まっていて、カラスではいけない。

知花:今の心境は鶯よりカラスだ、みたいな独自の発想はダメ?

永田:ダメ。そういう決まりごとやテクニックがたくさんあって、一つのサロン芸術として発達したものなんですね。やがてあまりにも技巧が高度になりすぎて、現代人の我々が素朴に涙するくらい感動することはむずかしくなってきた。古典和歌でも万葉集の時代はもっと素直に自分を出している歌もあるんだけど。

知花:貴族だけじゃなくて、詠み人知らずの歌もいっぱいありますよね。

永田 そう。だけど、我々が本当に感動できるのは、明治時代に正岡子規や落合直文が流れを作った近代短歌以降だと思う。サロン芸術とは逆で、独自の感性を追求して表現しましょうという、今に続く短歌の原点がある。過去の歌を勉強するなら、まずは近代短歌をおすすめします。

知花:ちなみに、古典文法はどうですか?

永田:僕は、文法の体系を覚えてもあんまり意味がないと思っていて。自分が歌を作っていく過程で、たとえば歌会とかで「これは文法的に間違っている」とか人に指摘されながら現場で習得していくほうが身につくと思いますね。

知花:そうか、じゃあ実践で鍛えるしかないんですね。

週刊朝日  2016年9月9日号より抜粋