記事で紹介しきれなかった浅草キッドのインタビュー全文は「緊急復刊朝日ジャーナル」に掲載されます(撮影/大嶋千尋)
記事で紹介しきれなかった浅草キッドのインタビュー全文は「緊急復刊朝日ジャーナル」に掲載されます(撮影/大嶋千尋)

 浅草キッドの冠番組としてテレビに登場した「アサ秘ジャーナル」。安倍晋三首相ら大物議員を直撃し、お茶の間の話題をさらった。『緊急復刊朝日ジャーナル』では、水道橋博士に出馬要請が来て、師匠のビートたけしが二つ返事でOKしたことを明かした。そのインタビューの一部を紹介する。

*  *  *

──水道橋博士さんには、過去、出馬要請があったそうですね。

博士:江田憲司さんって実は僕の中学の先輩なんですよ。もう時効だから話すけど、それで江田さんに請われて、みんなの党から出馬要請されたこともあった。

玉ちゃん(玉袋筋太郎):出馬すれば、よかったのに。

博士:赤坂のホテルでふたりで会食して、江田さんがたけしさんのもとに勝手に頼みに行ったんです。すると、たけしさんに「出ろって」と言われて、僕は「出馬したら、東(東国原英夫)さんみたいに師匠との師弟関係がなくなることが、嫌です」と。でも、たけしさんは「お前は例外にしてやる。面白いから出ろ」とずーっと言ってました。その頃、東さんが知事になったりしたので、面白がっていたんです。それで井手らっきょさんを本から出し、水道橋を岡山から出すとメディアでばんばん言うから、地元記者が真に受けて実家まで取材にきました(笑)。

──今後、政界へは?

博士:そんな気は全くないですね。お笑いの方が断然、カッコいい仕事です。むしろ議員になりたい人が不思議でしょうがない。

玉ちゃん:路上でチューもできないし、ホテル三日月だって行けないんだから。

──「アサ秘ジャーナル」の名前の由来は?

博士:僕らの冠番組なので浅草キッドと「朝日ジャーナル」をかけたものです。

──1992年で休刊した朝日ジャーナルを読まれたことは?

博士:僕は読んでました。大学時代、最初の頃、雑誌研究会にいましたからね。右も左も一通り読んでます。当時の朝日ジャーナルは、全共闘の人たちが「右手にジャーナル、左手に(少年)マガジン」と言っていた頃の名残もあり、立花隆さんの田中角栄の裁判記録とか読んでいました。あと本多勝一さんの「貧困なる精神」なんかも、読んでましたね。

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