戌井昭人 引っ越しでなくした包丁と暖かいセーターの行方 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
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戌井昭人 引っ越しでなくした包丁と暖かいセーターの行方

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 引っ越しでどうしてもものを失くしてしまうという小説家・戌井昭人氏が、包丁と暖かいセーターの行方について思いを馳せる。

*  *  *
 引越しをすると、どうしても、ものを失くしてしまいます。みなさまはどうなのでしょう? 大切なものを失くしたりしてませんか?

 わたしの場合、ものが多すぎるので、引越しの最中、ごちゃごちゃになって、どこになにがあったのかわからなくなってしまいます。

 引っ越してから開けてない段ボールが数箱あったりもします。でも、それらのほとんどは、どうでもいいものばかりなのです。

 もらい物の変な人形とか、使えるかどうだかわからない電池とか、賞味期限の切れた煎餅とか、花火とか風船です。

 不思議なことに、これらは失くなりません。とっとと捨てればいいのですが、なぜか捨てません。べつに捨てられない症候群ではないのですが、どうしてなのでしょう。

 しかし、必要なものや大切なものは、どんどん失くなっていきます。この前の引越しでは、包丁を失くしました。

 あの包丁はどこにいってしまったのだろう。拾った人が怪我をしてないだろうか、犯罪に使用されてないだろうか、少し心配です。拾ったら適切な処理をして、捨ててくれてればいいのですが、いまだにあの包丁のことを考えると、複雑な気持ちになります。

 また失くしたもので一番残念だったのは、紺色のカシミアセーターです。そのセーターは金のないころに、リボ払いで買ったものだったので、とても残念です。

 なぜそのような高価なセーターを買ったのかと申せば、十年くらい前、知り合いの集う新年会に行ったとき、わいわい盛り上がって、会計を済ませ、外に出ると、ある人が、「お前、ずいぶん薄着だけど、だいじょうぶなのか?」と言ってきました。そのときは、着古したトレーナーに薄手のジャンパーでした。

 確かに少し寒かったけれど「だいじょうぶです」と答えました。しかし、その人は、心配そうな顔をして「風邪ひくなよ」と言いました。

 ようするに、この寒い時期に、そんな薄着はみっともないぞ、と言われているような気がしました。そして、他人にそのように思われてしまった自分が、なんともみすぼらしい人間に思えてきたのです。

 それ以来、寒い時期は、なるべく他人に寒そうだと思われないようにしようと心がけ、やたら重ね着をするようにしました。

 Tシャツ二枚、トレーナー、セーター、ジャンパー、雨合羽、こんな感じでしたが、この重ね着も逆にみすぼらしかったのです。

 そこで、カシミアのセーターをリボ払いで買ったのです。

 はじめてあのセーターを着たときはびっくりしました。Tシャツの上にセーター一枚で、じゅうぶん暖かかった。

 そのセーターを引越しで失くしてしまったのですが、一向に見つかりません。でも、もう諦めました。

 せちがらい世の中です、だれか寒い思いをしている人が拾って、着てれば、それで良いと思っています。

週刊朝日  2015年2月13日号


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