宮川大助・花子 一時は喪服持って仕事、遺言も 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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宮川大助・花子 一時は喪服持って仕事、遺言も

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 夫婦漫才の代名詞ともいえる存在の宮川大助・花子夫妻。夫のことを「大助くん」と呼ぶ妻を、夫は「まこちゃん」。小学校の同窓生みたいだ。なお、まこちゃんとは、花子さんが結婚前に一時活動していた漫才「新鮮組」の真琴という芸名から。ふたりはこれまでに二度、大病を経験している。一度目は花子さんが33歳の時に胃がんを経験。これを克服し安堵したところ、2007年2月、大助さんが脳出血で倒れた。夫の入院・治療中は妻がひとりで舞台を務め、テレビ出演や講演もこなし、家計を支えた。

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花子さん:「ほんとに急やったから、あのときのことは私の記憶が飛んでいますね。とにかく車の中に喪服だけは入れとこうと思うてました。テレビや舞台に出るときはいつもの服でもいいけど、記者会見のときは華やかではいけないし、いつ何時、何があるかわからない。ひとりの漫才のネタも考えないかんし、心配してくれるマネジャーさんらを、大丈夫やって慰めなきゃならないし。とにかく考えることがいっぱいで、焦るし、でも冷静やし、何とも言えない心境でした」

大助さん:「あのとき言うたろ。『ずっと枕元に付き添って介護しようか。どうしてほしい』って。そやから僕は言いました。『いやいや、仕事に行け。僕の復帰はもう無理やろ。プラス思考のまこちゃんまでが、ここにおったら家庭が暗くなる。マイナス思考になるだけや』って」

花子さん:「考えることはお葬式のことばかりやった。ああ、倒れて今日で1週間か、初七日やな、とかね(笑)」

大助さん:「実際、僕はもうだめだと思ったから、娘に遺言として言ったんです。『お父さん、意識がしっかりしているうちに言うとくからな。覚えとけよ。お父さんはお母さんと出会って幸せやった。あなたという娘がいて幸せやった。悔いのない人生を送った』って」

花子さん:「結局3カ月入院して退院しましたが、左半分のマヒは残ったし、温度を感知する機能が壊れたままでした。退院したばかりは『寒い、寒い』と言ってスキーウエア着てこたつに入っていた。今でもまだ左足は冷えているんでしょう」

大助さん:「しかし、よくしたものや。口が大丈夫だったから、漫才に復帰できた。結婚以来、まこちゃんの母親と一緒に暮らしているんやけど、今年87歳になるこの母親と波長が合うんや。『だ・い・す・け・さ・ん、お食事・どうしよう』て、このテンポがよかった。そこへ、ヨメさんが『ただいまっ!』って大声で帰ってくる。それは僕にとっては、ビルを解体する工事現場で使う鉄の球、それが顔面直撃する気分です。でも、ヨメさんはパワーとエネルギーを注いでくれる。この微妙なバランスがよかった」

週刊朝日  2014年3月28日号


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