金メダルは「誇りであり、重荷でもある」と語る(撮影/写真部・岡田晃奈)
金メダルは「誇りであり、重荷でもある」と語る(撮影/写真部・岡田晃奈)
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 2012年ロンドン五輪で日本ボクシング界に48年ぶりの金メダルをもたらした村田諒太(りょうた=27)は、スター性あふれる風貌もあいまって、一躍人気者となった。13年4月には悩んだ末にプロ転向。2戦連続KO勝ちと上々のデビューを飾っている。金の拳を持つ男が見据えるものとは。

 村田が熱く語り始めた。

「プロで世界チャンピオンになるのは最低限の目標なんです。金メダリストとして、必ず必要な称号だと思っています。最終的にはミドル級の統一王者になりたいですね」

 ミドル級は世界の強豪がひしめき、最も層が厚いとされる階級だ。それをここまで言い切ってしまう。

 五輪後は引退も考えていたという村田。プロ転向の決断を、こう振り返る。

「金メダルで満足できなかったんです。中学でボクシングを始めたころ、僕の中に『強い自分』を追い求める自己顕示欲ができた。それがまったく満たされてなかった。ちょうどそのころ、テレビ番組で子どもたちと触れ合う中で、『もう一度、彼らの年ごろに持っていた夢を追いかけたい』と強く思いました。それでプロの道に進むと決めたんです」

 8月25日のプロデビュー戦。いきなり東洋太平洋ミドル級王者の柴田明雄を2回TKOと圧倒し、派手に船出した。

 12月6日の第2戦は、プロで初めての外国人選手との対戦。序盤は苦しい展開だった。それでも最終8回に連打を浴びせてTKO勝ち。試合直後は思わず「不細工な試合」と言った村田だが、いまは大きな収穫を得たととらえている。

「内容的にすっきりしていなかったので、周囲の評価はあまりよくないと思います。でも、僕にはすごく勉強になった試合でした。プロとしてやっていく上で、ジャブをいかに当てるか、体の重心をどこに置くか、という基本的な課題がはっきりしました。今後の練習の方向性がはっきりしたので、いまは視界がいい。もっと強くなれるなぁ、という感じがしています」

「最低限の目標」と言う世界王者までの道のりについて、村田はこう語る。

「ミドル級は何戦後に世界チャンピオンに挑戦できるか、まったくわかりません。ただ、WBC(世界ボクシング評議会)のランキングが19位なので、急に試合が決まるという可能性もある。そう考えると、あしたチャンピオンと試合することになっても勝てるという状況にしておかないと。僕に遊んでいるヒマはありません。チャンピオンになれるかどうかは努力次第ですが、できると思っています」

 日米を行き来してトレーニングに励む村田にとっての癒やしは、2歳の長男・晴道君。自宅にいるときはごはんを食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけるというイクメンぶりだ。

「趣味も仕事もボクシングで、ほかにあまり興味はないんですけど、子どもと一緒の時間は格別ですね」

 こう言って、この日一番の笑顔をみせた。

 14年2月22日には、大物プロモーターのボブ・アラム氏による興行で、マカオでの第3戦が決定。この戦いは、村田にとって特別な意味を持つ。

「海外での試合はモチベーションが大きい。(アラムさんに)もう一度、『村田諒太は使える』ということをしっかりアピールしたい。僕の存在感を示したいんです。何より、僕が海外で活躍することで、子どもたちにボクシングはすごく夢のあるスポーツだということを知ってほしいです。野球やサッカーと並ぶ競技種目の選択肢に、ボクシングが入ればいいなぁと思います」

 子どものころに抱いた夢を追いかける村田はいま、ボクシングに対して素直になれているという。純粋に、熱く。険しき道をゆく。

週刊朝日  2014年1月3・10日号