江夏豊さん (c)朝日新聞社 @@写禁
江夏豊さん (c)朝日新聞社 @@写禁

 記憶にも記録にも残る天才左腕・江夏豊。数々の記録を樹立し、メジャーに挑戦して選手としての最後を飾った江夏さんは、当時のことをこう話す。

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 プロ野球選手の引退には2種類あると思うんよ。「まだやれるのに」とファンに惜しまれつつ去っていく「長嶋茂雄タイプ」。もう一つは「いい加減やめろよ」と言われながら、自分が納得するまで続ける「野村克也タイプ」。俺は野村さんみたいにボロボロになるまでやると決めてたよ。でも、野球を取られてしもたんや。管理野球にな。1983年のオフ、日ハムから西武へトレードになったのが運のつき。移籍先が西武でなかったら、西武の監督が広岡(達朗)さんじゃなかったら……。

 あれは84年5月の大阪遠征中やったな。本社の幹部を迎えての朝食会で、俺は広岡監督と同じ円卓に座った。監督の方針で、出てきたのが玄米の三分づき。まっ黒けや。それでな、悪気も何もなく、不思議に思って聞いたんや。

「監督、こんな玄米を食べてるのに、なんで痛風なの」

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