「選挙に出ないので、『カネが余ったからハワイに行こう』となって、4泊6日で20人くらい連れていってもらった。全員、浴衣を持ってくるようにと言われ、それを着てみんなで街中を歩きました」

 83年には、落語界でも騒動を起こした。小さんが会長を務める落語協会が導入した真打ち昇進試験で、談志さんの弟子が不合格となったことに腹を立て、脱退して立川流を創設したのだ。

「落語の古い語りは、もう一般に通用しなくなっている。このままでは滅びるかもしれない」

 こんなウラもあった。小さんの「懐刀」と言われていた先の馬風さんが明かす。

「小さん師匠が心配してたので、私と(毒)蝮さんと2人で談志さんのマンションに翻意を促しに行ったんです。すると、談志さんが『明日、師匠のところに詫びに行く』と言ったので、翌日、師匠にその旨を伝えた。師匠も『ああそうかい。それが一番いいんだよ』と詫びを待っていたんですが、来ない。それで電話すると、まだ寝てましてね。電話口で『師匠が勝手に怒ってるんだから怒らしとけばいいよ。あの話はなかったことにしてくれ。その代わり、あんちゃん(馬風)の誠意は、生涯の借りで忘れねぇ』と言って、それでおしまいだったよ」

 その結果、小さんは「破門」を決めたのだという。

 新たに創設された立川流では、プロの落語家を目指す人のためのAコース、著名人のためのBコース、落語を研究したい一般人用のCコースが作られ、上納金制度も導入した。Aコースでは、志の輔や志らくら人気落語家が誕生した。Bコースにはビートたけしやミッキー・カーチス、故・横山ノックらが名を連ねる。

 後年、談志さんは上納金について、こう語っている。

「上納金を取るっていうの、実はヤクザから教わったんだよ。『ものを教えるのに金を取らないなんてのは本物じゃない。タダじゃ馬鹿にしてだれも来ないよ』って言うんだ。なるほどね、そうかもしれないと。真打ちになるには30万円、二つ目が10万円なんだけどね……とにかく10年たって30万円の金が出来ないような芸人なら初めから俺んとこには来るなっていうの」

◆味の素か何かに生まれ変わるか◆

 そんな談志さんも、たびたび病魔に襲われる。97年には食道がんが見つかった。だが、入院前の会見ではたばこを吸ってみせ、
「酒やたばこをやめるのは意志が弱いヤツだ」

 2週間後の退院時は病院玄関で寝そべって会見し、その日のうちに高座へ上がった。

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