常岡浩介が味わった怒りと絶望「死を2度覚悟した」 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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常岡浩介が味わった怒りと絶望「死を2度覚悟した」

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 常岡氏がアフガニスタンの武装勢力から解放されたのは現地時間9月4日のこと。157日間に及ぶ監禁生活から"生還"した日のことを、常岡氏はこう振り返った。
「解放された日の夜、現地の日本大使館でカレイの煮付けをいただいたんですよ。大使は冷凍モノだからと恐縮されてましたが、和食って、こんなにうまいものかと思いました。ただ、ずっと床に寝ていたものだから、ふわふわの布団がかえって居心地悪く感じられましたけど(笑い)」

 常岡氏が拉致された4月1日にさかのぼろう。

 前日の3月31日は、反政府勢力タリバーンの幹部だった知人のつてを頼ってアフガニスタン北部のタリバーン支配地区に入り、現役司令官のインタビューに成功した。その夜は幹部宅に1泊、翌日の午前9時ごろ、支配地区から約9キロ離れたイマム・サヒーブという町にタリバーンの青年兵士と車で戻る途中だった。
「携帯の電波が入り始めたことでタリバーンの支配地区から抜けたことがわかり、ツイッターに書き込みをしました。そのわずか約2分後でした」

 前方に、覆面姿で銃を構えた兵士2人が立ちはだかり、銃口を向けて車を止めた。常岡氏の「ジャーナリストだ」という説明を無視して乗り込んでくると、常岡氏ら2人を目隠しし、兵士の一人が車を走らせた。近くで別の車に乗り換え、目隠しを外されたときは民家の小さな部屋にいた。そこでタリバーン兵士だけが解放された。 
「お前らは誰だ」

 常岡氏が尋ねると、若いほうが「政府軍」、中年の兵士が「ヒズビ・イスラミ(イスラム党)」と名乗った。

 常岡氏によると、イスラム党は、パシュトゥン人の武装勢力で政府側に加担し、タリバーンと戦っている。
「お前は異教徒か」

 若い兵士がこう叫んだ。
「私はイスラム教徒だ。カブールに連絡してくれ。私が日本人ジャーナリストだということはすぐわかる」

 常岡氏は2000年にイスラム教に改宗した。これまで検問でジャーナリストだと名乗れば、通過は許されてきた。タリバーン支配地区からやってきたことで疑われているのだろうが、素性が判明すればただちに解放されると軽く思った。

 だが、カメラや取材機材を取り上げられ、長座布団が敷かれた部屋に閉じこめられた。それから昼夜、マンスールと名乗る22歳の兵士が見張りにつく日々が始まった。
「アメリカ人なら殺してやろうと思った」

 常岡氏を襲った中年兵は、常岡氏が礼拝する姿を見て、そう言った。

 常岡氏が置かれた立場を悟ったのは監禁されてから2週間以上たった4月18日。携帯電話を手にした兵士に命じられた。


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