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「小泉進次郎たたき」は百害あって一利なし 「農家はかわいそう」という洗脳を解かないとコメ農政は変わらない 古賀茂明
...う洗脳を解かないとコメ農政は変わらない 古賀茂明 備蓄米を販売するスーパーの視察を終え、取材に応じる小泉進次郎農水相    小泉進次郎農林水産相の登場で、永田町は、「雄一郎ブーム」(国民民主党・玉木雄一郎代表の人気急上昇)を吹き飛ばす「進次郎劇場」に舞台が一変した感がある。参議院選挙を前に、コメの価格対策は最大テーマに浮上した。  そんな折、私は、農林水産省の元改革派幹部官僚と話をする機会があった。彼は、一貫して農水官僚とは思えない国民目線の考え方でやってきた人だ。私が10年以上前から主張している農政改革の考え方とも非常に近い。そして、今回の米騒動についての解説が極めて分かりやすく、いちいち頷けるものだった。彼は、小泉氏のブレーンであるとも言われる。  そこで今回は、彼の話を噛み砕きながら、令和の米騒動とその先行きについて、考えてみることにしたい。  まず、なぜ、今回、コメがここまで高くなってしまったのか。  2024年8月頃、かなり広範な地域でコメが店頭から消えた。  当初は、インバウンドなどで需要が増えて品薄感が出たところに、23年産米の供給が猛暑による品質低下などで予想より少なかったため、供給不足で価格高騰になったのだという専門家による説明がなされた。  ただし、農水省は、全体としてコメが足りないのではなく、ごく一時的に消費者の買い急ぎや流通段階での目詰まりにより末端での需給バランスが少し崩れただけで、24年産米が出回れば、コメは店頭に並び価格も下がると説明した。  しかし、農水省は間違っていた。  24年産米の1年前の23年産米は、猛暑の影響で品質が非常に悪かったが、実は、「作況指数」は平年並みだった。これは単位面積あたりの収量を指数化したものなので、作付面積が減れば、作況は平年並みでも事実上の減反で、面積が減っているため量は減る。しかも、品質がかなり悪く、スーパーの店頭に並べられないようなものがかなりあった。そのため、23年産米は24年初夏頃になると店頭では品薄感が出て在庫も減ってきた。要するにコメの供給は足りなかったのだ。しかし、農水省の需給計画は平年並みを前提に作られ、何の対策も取られなかった。  実は、法律上、農水省はコメの需給状況を調査できる。しかし、現実には、国民の主食のコメの需給について全く把握できていなかった。  農水省が本来やるべき仕事をやっていたら、24年6月頃には、その後コメ不足が起きると予測できたはずだ。ここが失敗の始まりである。  日本人の主食であるコメの安定供給は、政府の責務だ。食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)にも価格の安定とともに需給の安定が目標として掲げられている。  1993年の大凶作で、平成の米騒動があったが、その時は備蓄制度がなく大混乱に陥った。その教訓を踏まえて備蓄制度を作り、100万トンのコメを蓄えてきた。  古今東西、食糧の安定供給は、国家の2大責務の一つだ。国家の安全と食糧供給、二つの安全保障である。ガザを見ても食糧供給の重要性はよくわかる。 前農水相の背後にいた農協と農水族議員  前述のとおり、2024年8月頃に店頭からコメが消え、価格も上昇した。国民に対して食糧の安定供給ができない事態だから、備蓄米を放出するのが政府の責務である。  しかし、農水省は、これを拒み続けた。今回の米騒動最大の原因だ。  コメが足りないことを認識できず、気づいても備蓄米放出が遅れたのはなぜか?  それは、価格を高く維持したい、少なくとも下げたくないという農協とこれと癒着した農水族議員がいたからだ。しかも当時は、まもなく自民党総裁選挙があり、その後に衆議院の早期解散総選挙が予想された時期である。農協を恐れた自民党は、価格低下を招く備蓄米放出を口にすることができなくなり、スーパーの棚はスカスカのままだった。  これを見た消費者やコメを仕入れる企業は、自分の分だけは確保しよう、値上がりする前に買っておこうと考える。多くの人、企業がいつもより多めにコメを買い、ますますコメは足りなくなった。  さらに、小売店は、いつもより高くコメを仕入れたので、高く売るしかない。値上がりを待って売ろうという輩も現れる。これがスパイラルを生み、価格は急上昇し始めた。  こうしてみると、今回の米騒動の原因は、農水省の無能さと無責任さにあると言って良い。もちろん、農協と族議員の責任も重大だ。  中でも、「コメを買ったことがない」という妄言を吐いてクビになった江藤拓農水相は、渋々備蓄米の放出を決めてもなお、後述するとおり、コメの価格低下を阻止しようとした。A級戦犯と言って良い。  食糧管理制度があった時代は、国が農協からコメを買って、これを卸売業者に売り渡していた。この制度が廃止された後に、政府が備蓄しているコメを市場に出した時も農協に売ったことは一度もない。普通に考えれば、今回もJA全農ではなく、少なくとも卸売業者に売るべきだったし、最初から小売業者に売ることも自由にできた。  また、政府は、買い戻し条件など過去に一度もつけたことがないのに、今回だけはそれをつけた。卸売業者などは後で大量のコメを集めることはできないので、事実上入札に参加できなかった。農協に備蓄米を集中させるための汚い手段としてこの条件が使われたのだ。  最も川上の農協に売れば、その下につながる卸売以下の段階で流通コストがかかる。  農協と言っても、地域の農協、県単位の農協、さらに全国単位の全農がある。彼らがそれぞれ手数料を取る。消費者に届く価格が高くなるのは当たり前だ。  韓国では、産地で精米して袋詰めし、それを直接スーパーに運んでいる。極めて効率的だ。  政府が多くの小売業者や外食産業などに備蓄米を直接売れば価格が下がるはずだが、そうしなかったのは、江藤前農水相とその背後にいる農協と農水族議員が原因だ。 備蓄米以外のコメの価格は下がらない  さらに、コメの価格を下げると言っているのに、入札にすることで、より高い価格で売ろうとした。政府が高い価格で売るのだから、末端価格は下がらない。  小泉農水相がやっている定価販売(随意契約)の仕組みも、実はもともと法律で可能な仕組みだ。価格を下げることは簡単にできる。  以上が備蓄米を出してもその備蓄米の流通が滞り、さらに価格も高くなってしまったことの解説である。  小泉氏が進めていることは、今解説した問題をクリアしようとするものだ。基本的に正しい方向を向いている。世論調査でも小泉氏への期待は高い。  ただし、備蓄米の価格は下がっても、その後、備蓄米以外のコメの価格が下がるわけではない。  国会などでも、この点を追及する野党議員もいた。下がるかどうかはわからないと答えれば、「やっぱり下がらないのか。選挙前のパフォーマンスに過ぎないのか」と言われるから、小泉氏は、意味不明なことを言いながら、「生産者と消費者双方が納得できる価格を見出すことが重要」などと、抽象的な言葉で逃げざるを得なくなっている。  では、本当の見通しはどうなのか。  これは、今農家が作っているコメの価格の問題だ。  農協が農家に出荷段階で渡す金を概算金(仮渡金)と言うが、今年のコメについては、各県の農協がすでにこれをかなり高くする「方針」を出している。昨年の5割増しという報道もある。  普通に考えれば、今年の秋から出回るコメを高値で農協が買い取るのでコメの価格は上がる可能性が高い。これが真実である。  自民党政権は、農協の方ばかり向いた政治をやっている。消費者は二の次。それが自民党の本質だ。  自民党政権である限り、消費者のためにコメの価格を下げようというのは、表向きの話に過ぎない。選挙前にパフォーマンスで国民を騙すための「対策」や「改革」がPRされるだけなのだ。  もう一つ、私たちが気をつけなければいけないことがある。  それは、「農家は可哀想だから守ってあげなければいけない」という話だ。  農家といっても、稼ぎ頭は町の工場で働き、その妻と年老いた親たちが細々と農業をやっているというような小規模の兼業農家もあれば、法人経営や家族経営でも大規模な農業をしている「プロ農家」もいる。現在、この「プロ農家」が全国の耕地の約6割を使い、農産物の販売金額の約8割を占める。ただし、数では、個人経営の小規模兼業農家の方が圧倒的に多い。  農協は、兼業農家の数を維持するのに必死だ。数が減れば政治力が落ちるからだ。また、彼らは、農協のドル箱、金融事業の顧客だ。住宅ローン、自動車ローン、教育ローン、保険など、農家であれば農協の商品を選ぶ人が多い。小規模で儲からなくても、農家であり続けて農協の組合員でいてくれさえすれば良い。農家の数が減っては困る。 「コメ農家はかわいそう」という感情論  政治家も、プロ農家は数では圧倒的少数なので、小規模農家と農協の方を選ぶことになる。  農業の競争力と生産量を上げ、輸出産業として日本の成長を引っ張る産業にするためには、プロ農家をいかに育てるかが鍵なのだが、今の政治構造ではこれまでの農政を根本から変えるという発想にはならない。  農協幹部は、今のコメの価格は高くないと胸を張った。生産コストが上がっているので、ここまで上がって何とかコストに見合う価格になり、これでやっと農業が続けられるという。それは兼業農家の声でもある。  しかし、プロ農家の考え方は全く逆だ。生産コスト上昇分の価格転嫁は必要だが、1年で倍になるような異常事態は、逆に生産者から見ても困るという。コメ価格高騰で消費者のコメ離れに拍車がかかり、外国からの輸入圧力も高まるからだ。したがって、消費者の購買力の範囲内の値上げに留める努力をすべきだ。それでも十分に利益は出るという。  普通の消費財の生産者なら、そんな考えは当たり前だ。しかし、農業、とりわけ、コメ農家については、そういう議論は「暴論」として叩かれる。 「私たちのために汗水垂らしてコメを作ってくれる農家に感謝すべきだ」「コメ農家は赤字生産を余儀なくされて可哀想だ」という極めて感情的な議論から始まる。メディアもこれを垂れ流すので国民が洗脳され、農協改革を主張するのは、無慈悲な新自由主義者かアメリカの回し者だという話にさえなる。  これにつけ込んで、今、農協や農水族議員が大キャンペーンを張っている。 「進次郎が日本のコメ農家を破壊し、農協資産をアメリカに売り渡そうとしている」というバカな議論さえ広まっている。  小泉氏が今進めていることは、恒久的な対策にはなり得なくても、農協外しのコメ流通の合理化により日本農政の根幹に手を入れるということだ。進次郎叩きは、農協と族議員たちに手を貸すのと同じだ。  やるべきなのは、本当にやる気があり、リスクをとってでもより良いコメをより安く国民に届けようというプロ農家の声を聞いて、「消費者目線の農政大改革」を進めるための政策を与野党が競い合うということだと思うのだが、どうだろうか。  なお、私は今から約7年半前、本コラムに「安倍政権トンデモ農政に無関心なマスコミの罪」(2017年12月4日配信)というタイトルでコメの減反と農協の問題について書いた。  これを読めば、現在のコメ不足と価格高騰の原因は、安倍晋三政権の「エセ」農協改革にあり、今起きていることが必然だったということがわかるので参考にしてほしい。
トランプ政権「ハーバード大留学生受け入れ禁止」は対岸の火事ではない 日本政府が着々と進める「学問への介入」の実態 古賀茂明
...府が着々と進める「学問への介入」の実態 古賀茂明 米ハーバード大学でトランプ政権に抗議する集会の様子=2025年4月17日(写真:AP/アフロ)    トランプ米大統領の大学への攻撃が大きな問題となっている。ハーバード大学など、米国が世界に誇る有名大学を標的にして巨額の補助金の給付停止や留学生のビザ取り消しなどで大学や学生に深刻な打撃を与えていたが、5月22日には、国土安全保障省がハーバード大学の留学生受け入れ資格を取り消すと発表した。同省は、留学生は他校に転学しなければ在留資格を失うとしている。CNNによれば、現在の留学生は9970人で、2024年度の入学者の27.2%が留学生だった。転学しろと言っても、ハーバードのようにレベルの高い大学はごく少数だ。受け入れ能力には限界がある。これだけ多くの若者の人生を弄ぶトランプ政権は完全に常軌を逸している。  トランプ大統領は、大学攻撃の理由として、これらの大学が学生による反ユダヤ主義の運動を適切に取り締まらなかったことや行き過ぎたDEI(多様性、公平性、包括性を重視する考え方)政策で白人の学生に対する逆差別を行ったことなどを挙げている。逆差別だと言いながら、実質的には、非白人や女性に対する差別主義の時代に戻ろうとしているようだ。  こうした考え方は、トランプ大統領の岩盤支持層の人々に共有される反エリート主義、反知性主義、反WOKE主義(WOKEは、上から目線で反差別主義などの価値観を押しつける意識高い系というような意味)と密接に結びついている。いわばトランプ主義の思想的支柱と言っても良い。  しかし、トランプ大統領の大学・留学生攻撃は、非常に深刻なダメージを米国に与えることは必至だ。  すでに、多くの研究者が米国を去る動きを見せ、EUの大学などが、そうした研究者の受け入れに動いている。今後は、海外の優秀な留学生も減少することが予想される。これまで海外から流入した優秀な頭脳が米国の発展を支えてきたことは明白な事実だが、今の政策が続けば、米国の知的水準が下がり、イノベーションが停滞するのは確実だ。  さらに、この政策の負の効果は、経済的損失にとどまらない。  2月4日配信の本コラム「トランプ大統領就任後にNYに来て感じたこと 極右の犯罪者は解放され、性的マイノリティが排除される『アメリカではない国』になった」で指摘したとおり、現在、米国の大学では、DEIに関わる研究がほとんどストップしている。研究内容に思想的な制約が加わったのだ。「トランプ大統領がやっていることは大変な思想統制につながっていく」と書いたが、その懸念は今も高まるばかりだ。 トランプ大統領が行なっている「実験」  大学への支援を大幅に削減し、研究内容に制約を加えていけば、どうなるのか。その実験をトランプ大統領が行っているのだが、実は、日本でも同じような「実験」が行われつつある。  自民党政府は、国立大学を個々に独立した法人とする改革を2004年から実施した。その後、各大学に対する運営費交付金が削減され、研究者が自由に使える研究費が減った。学問の自由があると言っても、研究費を減らせば、当然研究の自由度は下がる。さらに、競争的環境を整備するという名目で、各大学が政府や経済界などの要望に沿って研究を行えばより多くの資金が与えられ、そうでなければ経済的に干上がっていく仕組みが作られた。政府や経済界への大学の従属性が事実上高まる結果となっている。  そして、今、さらなる危機が進行中だ。  5月13日、「国の特別機関」である日本学術会議を特殊法人化する法案が自民、公明両党と、日本維新の会などの賛成多数で衆議院を通過した。立憲民主、国民民主など他の野党は反対し、学術会議は総会決議で政府からの独立が担保されていないとして法案修正を求めていた。  学術会議の同意を得ないままその組織のあり方を根本から変更するということ自体が、学問の自由を踏みにじるやり方だ。  法案の詳しい内容については、ネットのニュースなどで見ていただければわかると思うが、念のため、最も大きな問題だとされる会議の独立性に関わるいくつかの点について触れておきたい。  この法案には、学術会議を実質的に政府の支配下に置くことを可能にするために政府など外部の介入を許す仕組みがいくつも設けられている。  例えば、学術会議の会員以外の外部有識者が同会議の会員選考に意見を述べる「選定助言委員会」、同様に活動計画などに外部有識者が助言する「運営助言委員会」が設置される他、学術会議内ではなく内閣府に「評価委員会」を設置して、その委員を首相が任命する。監事も首相の任命だ。このように 極めて複雑な組織体系にしたことに政府の意図が表れている。  直接的に政府の支配下に置く規定を設けると世論の厳しい批判を浴びるため、極めてわかりにくい仕組みを幾重にも重ねるという官僚のテクニックが満載だ。 学術会議を政府の意のままに動かす  朝日新聞の社説(5月8日配信)は、内閣府の担当室長さえ、「自分でも非常にこんがらがって難しい仕組みになってますので」と国会で白状してしまったことを報じている。  これらの点は、メディアでも報じられているが、それ以外にも、細かいことのように見えて、実は重要な仕掛けがある。現行の学術会議から新しい学術会議に移行する手続きがその一例だ。  例えば新しい学術会議の会員になる候補者を選ぶために候補者選考委員会が置かれ、その委員は会長が任命するが、会長は任命に際して首相が指定する者(当然首相の意を受けて行動する)と協議しなければならない(法案の附則第6条第5項)。協議が整わなかった時にどうするかは不明だ。政府は人事に介入はしないと言うだろうが、それならば、協議など不要にすべきだ。首相による人事介入の可能性は極めて高いと言うべきだろう。  また、新たな組織の設立についての事務処理を行う設立委員は、首相が任命し(附則第9条)、設立後、新会長が選任されるまでの間置かれる「会長職務代行者」は、首相が指名する(同附則第8条)。この代行者は成立時総会の運営を取り仕切る(同附則第22条第2、4項)ので、新会長選任などに関して重要な役割を果たす。ここでも首相の影響力が働く。  一つ一つは小さなことのように見えるかもしれないが、これだけ細かくあらゆる段階で、政府の介入の手がかりを忍び込ませるのは、なぜか。学術会議を政府の意のままに動かすためだとしか考えられない。  実は、そうした「基本姿勢」の違いを明確に表わす条文がある。現行の日本学術会議法の第3条には、「日本学術会議は、独立して……職務を行う」と規定され、「独立」性が謳われている。  一方、法案では、「国は、……その運営における自主性及び自律性に常に配慮しなければならない」と書き換えられた(第2条第2項)。「独立」という言葉は消え、代わりに入った「自主性、自律性」は単なる配慮事項にすぎない。根本的変更である。  もう一つ重要な点は、財政だ。  現行法では、第1条第3項で「日本学術会議に関する経費は国庫の負担とする」と定めている。もちろん、無制限ではないが、学術会議が正当な業務を行っていれば、必要な経費は政府が負担するという趣旨である。仮に政府が必要な予算をつけなければ、法律違反になる。こうした規定を「第1条」に置いたことは、立法時に、財政的支援の重要性が認識されていたことを物語る。 トランプ政権とファシズムの共通点  一方、法案では、財源措置に関する規定は、はるか後ろの第48条に置かれ、「政府は、予算の範囲内において、会議に対し、その業務の財源に充てるため、必要と認める金額を補助することができる」とされた。現行法とは全く違う。必要な金額か否かは政府が決める。補助「する」ではなく、「できる」だから、しなくても良い。  政府の言うことを聞かなければ、予算をつけなかったり、減らしたりするという脅しである。  ここまで読んでいただくと、政府が何と言おうと、この法案は、学術会議を政府の支配下に置くことを目的としているということをご理解いただけるのではないだろうか。  そのことは、実は、こんなまどろっこしい法律論をしなくても明白なことだ。それは、そもそも、学術会議が推薦した6人の新会員候補の任命を拒否した「事件」を見ただけでよくわかる。  政府は、首相による任命は形式的で、学術会議が推薦した候補者をそのまま任命するという立場をとっていたが、2020年9月、菅義偉元首相が突然これを変更して学術会議が推薦した6人の学者の任命を拒否した。しかし、明確な理由は示されなかった。6人の学者は特定秘密保護法や安保法制に反対するなど、政府に批判的な意見を表明した人たちだと言われている。菅元首相が、こうした「望ましくない学者」を排除しようとしたことは明らかだが、政府はこの任命拒否の理由を明らかにしていない。本当の理由を言えないからだ。  立憲の小西洋之参議院議員が21年、首相任命に関する法解釈の検討経緯がわかる文書の開示を求めたのに対して、政府は重要部分を黒塗りにした一部開示しかしなかった。本当のことがわかると困る事情があるのだろう。  これを不服として小西議員が全面開示を求めた裁判で、今月16日に東京地裁は、全面開示を命じる判決を出した。非常に重要な事実が明らかになる可能性があるので、それが開示されるまで参議院での法案の審議は待つべきである。  ところで、米国でのトランプ大統領の大学攻撃によって、米国外に脱出する学者が出ていると書いたが、その一人、米名門のイエール大学でファシズム研究を続けてきたジェイソン・スタンリー教授が面白い発言をしていた(テレ朝news)。  それは、トランプ政権とファシズムに共通することがあるという話だ。 米国と日本の非常に似通った状況  彼によると、一般に、極右政党には、自国について、「かつては偉大な国だったのに、リベラルや批判的な歴史観で没落した。我々が皆さんを自虐史観から救う。かつての権威主義に立ち返るべき」だと言い募る傾向がある。  こうした言説が極右政党などにより広がるのは、「民主主義が後退しつつある国でよくあること」だと言う彼の言葉の中に、「日本の政治も含めて」という言及がなされていたのにハッとした。  つまり、彼は、トランプ政権と過去のファシスト政権に共通性を見出すと同時に、その共通点が日本政治でも見られることを発見したのだ。  そこで誰もが思い浮かべるのは、自民党の旧安倍派を中心とした右翼的歴史修正主義者たちの言説だ。つい最近も、西田昌司参議院議員が、沖縄のひめゆりの塔の展示を「歴史の書き換え」と述べて、日本中から強い批判を受けた。  朝日新聞(5月7日配信)によれば、彼は、戦後の歴史教育について「でたらめなことをやってきた」と主張。その上で、「何十年か前」に訪れたというひめゆりの塔について、「説明を見てると、要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放された。そういう文脈で書いている。歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃう」「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育のされかたをしている。自分たちが納得できる歴史を作らないと」などと発言したそうだ。  まさに、スタンリー教授のいう極右政党が主張する議論の代表例ではないか。  こうして見てくると、米国と日本は実は非常に似通った状況にあるという印象が強まる。大学への攻撃で学問の自由が脅かされ、極右政治家が歴史を書き換えて、昔の権威主義に戻ろうとする。  スタンリー教授は「抗議の声は学者や知識層ではなく、一般市民から出てくるのが最も有効だ」と述べていたが、これは非常に重要な指摘だ。  特に、日本では、夏に参議院選が控えているので、我々一般市民が声を上げれば、事態は変わる可能性がある。  日本学術会議法案への抗議の声をさらに大きくして、政府・自民党に届けていかなければならない。
145%の関税で中国が屈すると考えたのは甘かった…トランプ大統領が知らない「粟と歩兵銃」の精神 古賀茂明
...プ大統領が知らない「粟と歩兵銃」の精神 古賀茂明 ...いということだろう。 古賀茂明さん  世論調査でも、トランプ氏の経済政策の評価が軒並み下がっている。特に、貧困層や高齢者などが、今後の物価上昇を非常に恐れているようだ。こうした不満もあって、全米で反トランプのデモが拡大している。  庶民が、このままおとな...

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