李琴峰『生を祝う』※Amazonで本の詳細を見る
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――今の時代状況と照らし合わせて考えると、陰謀論は、パッケージ化していて、人々の心に浸透しやすいものになっていて、何か危機的な出来事が起こると、それに影響を受けそうになるところがあると思うんです。そうした陰謀論によって、人は敵意や誹謗中傷に流されてしまうけれど、それに抵抗していくための人々の結びつきについて、李さんはどんなことを考えていますか?

李:難しい質問ですね。天愛会に集まっている人たちは、基本的に自分たちが正しいと思っているんです。そうすると、自分たちの正しさをいろんな形で実現しようとするんです。時には暴力も辞さない、となる。暴力は悪だ、と簡単に片づけることもできるけど、1900年代から20年代にかけてイギリスで婦人参政権運動をやっていた人たちも、ある種の暴力は用いていたわけです。そして歴史の流れを見ると、彼女たちの抵抗は正しかった、歴史を正しい方向へ導いたと、今なら言える。1969年のアメリカの「ストーンウォールの蜂起」も同じ。だから、何が正しい主張なのかは、後世になってみないとわからないところがあるんですね。もちろん絶対に間違っている主張というものはあるんですけど、多くの主張は歴史の流れの中でしか判断がつかない。天愛会にしても、彼らがやっていることはテロだけれども、本人たちは「正義を主張している」と思っているから、その分断は根源的なものなんです。こんな時に衝突以外のどんな可能性があるかというと、今の私にはちょっとわからないですね。

――合意出生制度について、結菜は「あまりにも正し過ぎるからこそ、逃げ場がないように感じられた」と主張しています。天愛会というのは、「正しくない人たちが作り上げた逃げ場のようなもの」だ、と。合意出生制度では、この世界に生まれるかどうかを判断するときに、生存難易度という指標があって、一見すると科学的な正しさに基づいて判断されるような感じがありますね。でも、その正しく見える制度であるがゆえに、結菜は息苦しさを感じているわけですよね。

李:結菜の存在を今の時代に置き換えてみると――たとえば、「同性愛者を差別してはいけません」という主張があることによって、同性愛者に対する嫌悪感を表明する自由が奪われている人たちが息苦しいと感じるのと同じですね。その息苦しさに正当性があるかというと、私はないと思うんですけど、そういう息苦しさがあること自体は、事実として存在している。そういう息苦しさを抱える人がたくさんいると、天愛会みたいな団体ができあがる。実際、似たような勢力がアメリカでは国会襲撃を起こすなど社会問題にまで発展しています。現代日本でも、もっぱらデマやヘイトスピーチなどで飯が食えている論客や出版社が存在します。彼らを支えているのは、結局のところ、天愛会的な人たちでしょう。

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「親ガチャ」という言葉