李琴峰さん(撮影/加藤夏子)
李琴峰さん(撮影/加藤夏子)

■「自然」とは何か

――この小説の登場人物に「そんなに特別な人間はいない」という言葉で思い出したんですけども、李さんは「文學界」(2020年5月号)で王谷晶さんと対談されています。そこで王谷さんは、「現代の東京や大阪などの都市部を舞台にしていて、外国人やいろんなマイノリティーの人の存在を匂わせないような作品は、怠惰だなと思います。ちゃんと見なさいや、見て書こうよって思います」とおっしゃっています。この『生を祝う』にも、当たり前のようにダブルの女性たちが登場しますけど、これは意識的に描かれたんでしょうか?

李:そうですね。最近、王谷さんがU-NEXTで発表された「今日、終わりの部屋から」も読みましたけど、王谷さんは言っていることを実践されているなという感じがしました。この『生を祝う』の場合、そもそもの舞台設定として「移民政策によって経済が上向きになった」という時代になっているので、国際結婚が当たり前だという設定なんです。現代日本は外国人が2パーセントしか占めていませんが、この小説はいわばアメリカのような移民社会になっているので、いろんなルーツを持つ人が一緒に暮らしている社会を想定しているということですね。

――『生を祝う』は、職場の同僚で、ダブルである凜々花と彩華がランチをしている場面から始まります。凜々花は妊娠しているけれど、夫はアメリカに出張しているので、彩華が凜々花に付き添って出生意思確認に出かけたところで、天愛会のテロが起こる。この天愛会という団体は衝撃的な存在なんですけれども、「天の本心を愛し、自然の摂理に帰すべし」と主張している団体で、合意出生制度を否定しています。この設定には衝撃を受けたんですが、この設定はどこから浮かんできたものなんでしょう?

李:今の反同性愛者の言説を見ていても、「同性愛は自然の摂理に反する」という主張はよくありますよね。それを聞くたびに、そもそも自然って何だろうと思うんです。そういった論理をこの小説の中に使ってみると、「合意出生制度は自然の摂理に反するものだから、廃止するべきだ」という主張になるだろうな、と。言ってみれば、今の時代に生きている人たちは皆、無差別出生主義者なんですね。そこに対する皮肉というか、アイロニーの効果はあるんじゃないかと思って、天愛会のことを書きました。

次のページ
なにかおかしいものが存在するとして、それは最初からおかしかったわけではなく…