李琴峰さん(撮影/加藤夏子)
李琴峰さん(撮影/加藤夏子)

■何が正しい主張なのか

――この小説の中ではアイロニーをたくさん用いているように思うんですけど、その中でも天愛会の存在は一番皮肉が利いているなと思います。と同時に、天愛会的な保守的な価値観は、多くの人が受け入れている価値観でもあります。

李:そうですね。たとえば人工中絶に反対する人たちは一定数いて、「自然の摂理に反する」とか、「子供の命を奪っている」とか、そこにはいろんな論理があるんでしょうけど、アメリカだと中絶に対応している産婦人科クリニックに抗議デモをする人たちもいて、そういうイメージで書いています。ただ、天愛会に対して、いろんな感じ方があると思うんです。その保守的な価値観に衝撃を受ける人もいれば、読者によっては共鳴する人もいるんじゃないかと思います。

――天愛会のもともとの始まりは、合意出生制度のもとで、生まれてこないことを選択した我が子と死別を強いられた母親たちによる自助グループだったという設定になっていますね。その一員である金結菜や彩芽の境遇を知ると、お互い集まって慰め合わざるを得ない部分が感じられて、最初期の天愛会については複雑な部分があるところも書かれています。

李:なにかおかしいものが存在するとして、それは最初からおかしかったわけではなくて、どこかで狂ってしまうのが世の常だと思うんですよ。だから天愛会についても、最初は同じ境遇の人が集まる団体という設定にしました。ただ、共感が共感を呼んでいくうちにリミッターが外れて、カルト宗教みたいなものになってしまう。これはSNSにも共通する話で、SNS上では共感を呼ぶ言葉は拡散されやすいんですけれども、安易に皆が飛びついていくと、ある種の危険性を孕んでしまう。それを意識しながら、この設定を作りました。

――たしかに、SNSにおいて、共感によって居場所を得る人もいれば、それがあるとき変貌して、暴力の形であらわれてくることもあります。『生を祝う』の彩華も、出生強制の岐路に立たざるをえなくなって、陰謀論的なものに呑み込まれてしまいますけど、これは今の時代とも非常に重なってくるものを感じました。

李:エコーチェンバーという言葉もあるように、インターネット上では自分の立場を支持するエビデンスがいくらでも見つかってしまうんですね。彩華も「子供を産みたい」という思いに苛まれて、インターネットで自分が支持する立場の情報を読み漁ってしまう。それは今の時代に多くの人がやっていることじゃないかと思うんです。

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