江藤、工藤とは逆に、人的補償で移籍後、FA権を行使して古巣に戻ったのが、15年オフの西武・脇谷亮太だ。これもFA史上初の珍事だった。

 10年にキャリアハイの132試合に出場するなど、巨人で8年間プレーした脇谷は、13年オフに片岡治大の人的補償選手として西武に移籍後、内、外野を守れるユーティリティプレーヤーとして2年間活躍した。

 だが、34歳になった15年シーズン終了後にFA権を行使して巨人に復帰。宣言残留を認めてくれた西武にも恩義を感じていたが、巨人入団時からお世話になり、西武移籍後も一緒に自主トレを行っていた“兄貴分”高橋由伸が巨人の新監督に就任し、「同じユニホームを着て、少しでも力になれたら」と考えたことが決め手となった。

 巨人に復帰した脇谷は、翌16年8月23日の広島戦で、0対0の延長10回にプロ11年目で初のサヨナラ弾を放ち、広島のマジック点灯を阻止。「まだまだ(優勝を)あきらめてない」と意地を見せた。

 人的補償選手の野球人生は、FAを行使した選手以上にドラマチックである。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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