マウンドに手を添える松坂大輔(C)朝日新聞社
マウンドに手を添える松坂大輔(C)朝日新聞社
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「平成の怪物」の現役最後の登板。全盛期の姿には程遠い。それでも懸命に右腕を振る西武・松坂大輔の姿に心を揺さぶられた。

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 19日の日本ハム戦。親交のあるEXILEの「real world」が登場曲で流れる。背番号18がマウンドに歩を進めると、スタンドから大きな拍手が注がれた。投球練習では右足でプレートの土を払う仕草。全国の野球少年がまねたルーティンを見るのもこれが最後だ。代名詞のワインドアップから投げ込む。横浜高の後輩・近藤健介に投じた5球の最速は118キロ。私たちが想像していた以上に松坂の体はボロボロだった。鮮烈なプロデビューを飾った1999年4月の日本ハム戦。片岡篤史に155キロの直球で空振り三振を奪った。引退登板でも対戦相手に思いを込めた直球を投げ、現役生活に幕を下ろした。

 横浜高でエースとして3年春夏の甲子園で全国制覇を達成。98年ドラフト1位で3球団競合の末、西武に入団すると、3年連続最多勝など8年間で108勝を積み上げ、レッドソックスでも2007年に15勝、08年に18勝と、28歳の時点で通算141勝をマークした。第1回、第2回大会と連覇を飾ったWBCでも日本のエースとして2大会連続MVPに輝いた。だがその後は右肩、右ひじなど度重なる故障に苦しんだ。日本球界復帰した15年からのソフトバンク在籍3年間で未勝利。中日に移籍初年度の18年に6勝をマークしてカムバック賞を獲得したが、19年は右肩の故障が響いて未勝利に。古巣・西武に14年ぶりに復帰した昨年は7月上旬に右手のしびれを取るため、内視鏡による頸椎周辺の内視鏡手術を受けたが完治せず、昨季、今季と1軍登板なし。現役後半の13年間は度重なる故障で計29勝に終わった。

 松坂は最後の登板前に行われた記者会見で、引退を決断した胸中を語っている。「キャンプが始まって、もうそろそろ打撃投手をやって、ファームの試合に投げられそうだね、というところまできた。そんな話をした矢先に、ブルペンでの投球練習の中で何の前触れもなく、右打者の頭のほうにボールが抜けた。それがちょっと抜けたんではなく、とんでもない抜け方をして。そういう時、投手は抜けそうだなと思えば指先の感覚で引っかけたりするんですけど、それができないぐらい感覚がなかった。そのたった1球でボールを投げることが怖くなってしまった」。

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