高校時代は“ライバル関係”だった田中将大(左)と斎藤佑樹(右) (c)朝日新聞社
高校時代は“ライバル関係”だった田中将大(左)と斎藤佑樹(右) (c)朝日新聞社

 田中将大楽天に復帰し、大きな注目を集めている。それに伴い、同い年で高校時代の“ライバル”だった日本ハム・斎藤佑樹との対決が再び実現するかと盛り上がってはいるが、プロ入り後の成績を見る限り、もはや比べる対象ではないのかもしれない……。

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 かつては斎藤が世代の代表であり、そのことから田中らは“ハンカチ世代”といまだに呼ばれることはある。とはいえ、今やこの呼称はむなしく聞こえるようになってしまった。

「やっぱり、僕たちの代のスター、トップなんで、自分でやめるってことは絶対してほしくない。投げすぎて肩が上がらなくなるまでやって欲しいし、行けるところまで行って欲しい。ボロボロになってどうしようもなくなったら、自分がいるクラブチームで一緒に野球をしよう!と伝えたいですね」(駒大苫小牧元主将・本間篤史/20年11月12日付・東スポ)

 昨年11月9日、斎藤が21年シーズンも現役を続けることが判明し、甲子園の決勝で戦った本間がエールを送った。

 06年夏の甲子園は今でも高校野球ファンの間で“最高の大会”との呼び声も高い。その年の決勝で戦ったのが斎藤がエースだった早稲田実業と、田中を擁する駒大苫小牧だった。引き分け再試合の末、最後は斎藤が田中を三振に切って取り、早稲田実業が夏の甲子園初制覇を果たしことは野球ファンなら誰もが知っていることだろう。

 大会中、ピッチング以上に話題となったのが斎藤がポケットに入れたハンカチで顔の汗をぬぐう姿。そのことから、斎藤は『ハンカチ王子』と呼ばれ、同級生の88年生まれの選手たちは“ハンカチ世代”と称されるようになった。

 それから15年近い月日が流れ、彼らの立場は大きく変わった。ライバルだった田中はメジャーでも活躍する投手となり、斎藤はここ数年、オフになると毎年引退の可能性が報じられるようになった。

「もう話はしている。(右ひじの)治療に関しては決まりました」(日本ハム・吉村浩GM)

 斎藤はプロ10年目の昨季、プロ入り後初めて一軍登板なしに終わった。シーズン終盤に古傷である右ひじの痛みが増し、オフに手術よりもリハビリ期間が短い『PRP(自己多血小板血しょう注入)療法』での治療を決断。球団も復帰に向け全面サポートする方針だという。

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斎藤と田中に開いた“絶望的な差”