「やはり師匠のもとで将棋に励んでいるのと、親元にいるのでは、緊張感が全く違いましたから。実際半年ぐらい、実家で将棋をしませんでした。ぬるま湯でこの感覚に染まったらダメになっていくのがわかりました」

 脳裏にかつて自分が厳しく批判した努力しない奨励会員の姿が浮かんだ。そこでほとぼりが冷めたころに大阪に戻り、今度はひとり暮らしを始めた。森には伝える勇気がなく、見つからないように立ち回っていたがバッタリ出くわして見つかってしまった。

「お前のそういう所があかんのじゃ!」

 またお説教をくらったが結局、許してもらえた。

 山崎はそこに森の温かみを感じるという。

「それだけ人に怒れるということは、他人に対して熱を込められるということです。僕はそこまで他人に熱を込められない。奨励会時代、師匠の周囲にいつも人のぬくもりを感じることができました。師匠の弟子でなかったら今の僕は全然変わっていたんだろうなと思う」

 山崎は98年4月、17歳で四段に昇段した。奨励会に入会したのが92年9月だから、奨励会在籍6年足らず。プロになる棋士の平均は7年というから、まずまずのスピード出世と言えるだろう。

 四段昇段後、山崎は周囲の期待に応えるような活躍を見せている。00年第31期新人王戦で棋戦初優勝、04年第45期王位戦で挑戦者決定戦出場、09年第57期王座戦でタイトル初挑戦。タイトル戦出場は1回、棋戦優勝は8回。名人戦順位戦は08年に「鬼の棲み家」と呼ばれるB級1組に昇級。段位は06年に当時六段だった師匠の森を抜いて七段に昇段、13年に八段に。

「弱いなら死ねばいい」と言っていた山崎も、もうすぐ不惑を迎える。最近は周囲からさすがに「丸くなったね」と言われることが多い。

「中学生時代のヤマちゃんのほうが魅力的だったみたいなことは、当時の先輩の奨励会員からすごく言われますね」

■師弟関係の変化

 今の山崎はファンに対して紳士で、ユーモアのある棋士として知られている。

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コロナ禍前までは開催していた森一門のファン感謝祭で…