山崎隆之八段 (c)朝日新聞社
山崎隆之八段 (c)朝日新聞社

 2021年2月4日、第79期将棋名人戦・B級1組順位戦の12回戦が行われ、山崎隆之八段のA級への昇級が決まった。A級は名人挑戦権を争うことができる最上位のクラス。山崎八段がA級に参戦するのは初めてのことになる。

【写真】「ポスト藤井」と目される小学6年生の姿はこちら

 そんな山崎八段は、村山聖を育てた名伯楽・森信雄の弟子としても知られている。神田憲行著『一門』より、一部を抜粋して山崎八段が歩んだ歩みを紹介する。(敬称略)

*  *  *

 森一門の弟子たちに「弟子の中でいちばん勝負に辛(から)い棋士は誰か」と問うと、全員がすっと山崎を指さす。

 勝負に辛いとは、勝ち負けにこだわる厳しい将棋を指すことをいう。劣勢にあっては粘り、優勢にあっては1パーセントの逆転も許さない手で確実に仕留める。山崎は周りからそう思われ、また、そういう雰囲気をまとった棋士だった。

 1981年、広島市生まれ。プロになった森の弟子の中で、年齢的に上から4番目の弟子である。村山聖が学んだ広島の将棋道場の出身だ。村山という「成功体験」ができてから、広島出身の棋士志望の少年たちが森の門を叩くようになった。山崎もそのひとりである。

 山崎には一門の中で特徴的なことが三つある。ひとつは中学を出てすぐ森の内弟子になったこと。昔は中卒の棋士はいたが、棋士が高学歴化するいま、中卒の棋士は珍しい。しかも通いではなく森の家に住み込みの内弟子も珍しい。さらにもうひとつ、山崎は一度、破門になりかけていた。

 山崎が森門下に入門し、奨励会に入会したのは92年、11歳のとき。それから6年後の98年に四段に昇段してプロになった。

 奨励会はできるだけ早く入れば良い、というものでもないらしい。9歳や10歳でまだ実力が十分でなく、人間的にもかなり幼い時期にたまたま入会試験に合格してしまうと、最初はとことん負け続ける。負けるとまだ小さな子どもなので将棋が嫌になる。

 山崎自身は10歳ぐらいから「びゅー」と急に棋力が向上していったのを感じたという。「だから奨励会に入っても、そのままの勢いで半年ぐらいは勝ち続けられたんです。すると周囲の目線が『こいつはやるな』となって良い目立ち方ができる。同じ奨励会員の中でも一種の格上扱いみたいになってきて、変な遊びとかに誘われなくなるんですね」

次のページ
片上大輔と「二強」と並び称されていた広島時代