1浪目で受かると思われた医学部の後期試験の面接で、テーマだった「安楽死」について面接官と30分も熱く議論をしたところ失敗。結局、2浪をして、最終的にセンター試験800点中740点をとり、信州大学医学部に合格した。

「やはり、志望校に特化した勉強をするのが一番効率的です。僕の場合はベーシックな内容を幅広く確実に押さえることが得意だったので、センター試験の配点が高い医学部を受験し合格しました」

■大学で基礎研究にはまり、憧れの先生のいる皮膚科医の道へ
 
 高校時代の失敗を教訓に、大学では1年目からコツコツと真面目に勉強した。専門課程の講義では一度も赤点をとらず、すべて一発合格だった。
 
 医学部の3~5年では基礎研究にはまり、生化学教室でおこなわれていたがんの基礎研究には寝る間を惜しんで参加した。そして、この時の経験が「皮膚科医」への道につながっていく。

 当時の「憧れの先生」は、皮膚科領域の基礎研究で多くの先進的な論文を発表していた慶應義塾大学医学部皮膚科学教授の天谷雅行医師だ。

「憧れの先生のいる診療科はひかれますし、モチベーションも高まりますよね」
 
 大塚医師が医学部を卒業した2003年は、臨床研修でローテート(研修医が病院の各科を順に回って研修する)がスタートしておらず、医学部時代に専門科を決めなければならなかった時代だ。

「臨床で患者さんを診療でき、基礎研究もおこなえ、がんも診られるという条件で絞っていくと、選べる診療科はそんなに多くなく……。消化器内科なども考えましたが、臨床が忙しかったり急変もあったりして、研究にあまり時間を割くことができないだろうと考えました。そこで最終的に、皮膚科に決めました」
 
 当時、国内ではまだ、皮膚科領域のがん研究はそれほど進んでいなかった。卒業後は、基礎研究ができて、皮膚免疫の研究にも強かった京都大学皮膚科学教室で研修することを決めた。

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