巨人から出て活躍する大田と澤村 “飼殺されなかった”2人が示す環境の重要性 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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巨人から出て活躍する大田と澤村 “飼殺されなかった”2人が示す環境の重要性

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巨人からトレードで日本ハムに移籍後、見事な活躍を見せている大田泰示 (c)朝日新聞社

巨人からトレードで日本ハムに移籍後、見事な活躍を見せている大田泰示 (c)朝日新聞社

 日本ハム・大田泰示、ロッテ・澤村拓一。

 巨人からパ・リーグ球団へ移籍して活躍している選手が目立つ。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 何が彼らを変えたのか。実力を発揮できなかった理由はどこにあったのだろうか。

「おい、背番号55が泣いてるぞ。情けないな」

「うるせーぞ」

 動画サイトにアップされて話題になった、巨人時代の大田とファンのやり取り。2軍戦でも多くのファンが観戦に訪れるジャイアンツ球場での出来事である。チャンスで凡退を繰り返す大田に対し、ファンからたびたび痛烈なヤジが飛んでいた。明るい性格で普段は気にする素振りも見せないが、この時ばかりはスタンドのファンを大声で怒鳴りつけた。

「大田はイカツイ風貌とは異なり、明るくて真面目な好青年。ファンサービスも積極的でマスコミ対応もしっかりできる。期待通りの結果を残すことはなかなかできなかったが、ファンからはトップクラスの人気を誇った。大田が言い返す姿を見て驚いた。いじられキャラで、何事も笑いで済ますような男。普段ならあり得ない剣幕だったから、精神的にかなり追い込まれていたのだろう」(巨人関係者)

 大田は広島県出身だが、中学時代に野球教室で原辰徳監督に指導を受けたことがきっかけで、原監督の母校・東海大相模高(神奈川)へ越境留学を決断。1年春からベンチ入りし、同年秋からは4番に座る。2年秋からは主将を任され、甲子園出場経験はないが高校通算65本塁打を放ったスラッガー。走攻守すべてで突出した選手で、当時はショートを任されたほどだった。

 08年秋ドラフト1位でソフトバンクと競合の末、巨人入団を果たし、松井秀喜が背負った『背番号55』を与えられる。しかし継続して結果を残せず、16年オフに日本ハムに移籍。移籍後はレギュラーに定着し、今や欠かせない外野手として才能を大きく開花させた。

「最も期待をしていたのは原監督。打撃練習ではつきっきりで熱く指導していたのを鮮明に覚えている。タイミングが悪かったのは、原監督2度目の就任後で結果を出すためには実績のある選手を使わざるを得ない時期だった。大田を我慢して使い続けることができなかった。与えられたチャンスは多くなく、大田も結果を残せなかった。時期が違えばもう少し異なった起用方法もあったはず。長期スパンで育成できたのかもしれない」(巨人担当記者)


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