アメリカに行くたびにそんな生活をしていて、日本に帰ってきてすぐに結婚した。当時仲の良かった人が西麻布に住んでいて「近くに住みなよ」って言うもんで、俺も近い方がいいかなって思って西麻布に住んだんだ。当時の俺は東京と言えば両国しか知らないし、女房も京都から出てきたばかりだから、西麻布がどんな場所か知らなかったんだ! スーパーは(高級スーパーの)紀ノ国屋くらいしかなくて、コンビニもない時代で、大変なところに引っ越してきたなと思ったよ。家賃も当然高いしね。両親を新居の2DKのマンションに連れてきたら、親父が「で、この家はどこから2階に上がるんだ?」って本気で聞くんだよ。いや、ここだけって言ったら「こんな狭い家に住んでいるのか!」って驚いていたよ……。

 西麻布は坂道が多くて、マンションも坂道の頂点にあったから、女房は買い物に行くのも大変だ。当時の俺は食欲がものすごくて、一回で鶏の唐揚げを2キロ 位食べていた頃だ。生まれたばかりの娘を抱っこして、買い物袋をぶらさげて坂道を登るんだよ。いつも両手に重い荷物を持っているもんだから、ついに指輪が変形して取れなくなってしまった。指の血も止まってしまって、警察に相談しに行って、近くの宝石店を教えてもらって、そこで指輪を切ってもらったんだ……。そんなある日、女房が買い物をして坂道を登り切ったところで荷物を落として、それがコロコロと転がり落ちて西麻布の交差点まで取りに戻ったときは、さすがに涙が出たって(苦笑)。それで引っ越しをするんだけど、これが嶋田家の十数回に及ぶ引っ越しの始まりだ。

 西麻布の後は世田谷に買った一軒家に住んでいたんだけど、ところが、その家に泥棒が入ってしまって、娘は怖がるし、女房もゲンが悪いっていうので、マンションに引っ越しだ。そのマンションはリビングが30畳もあって広くて、遠くに富士山が見えるいい部屋だったね。ただ俺としては「まだ家のローンが残っているのになんでまた、こんな高い家賃のマンションを借りないといけないんだ!」と怒ってしまって、3カ月くらい口を利かなかったんだけど(苦笑)。女房が言うには「広い家に引っ越すと本人の許容量や器も広くなる」ということらしい。家賃の心配をしているのは俺だけだ!

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天龍の家とバレるとピンポンダッシュや車にイタズラ