翌1997年のオールスターでは、神戸ユニバー競技場を舞台にエムボマが大暴れした。台風のために1日延期となった一戦。雨が降る中での開始26秒、ブッフバルトから井原正巳へのパスを奪い去ると、GK川口能活の飛び出しをループシュートでかわして先制ゴール。さらに前半38分にはラモス瑠偉からの浮き球のパスから、後半5分にはストイコビッチのスルーパスに抜け出して計3得点。同年のJリーグで旋風を巻き起こしていた“浪速の黒豹”が、ファン投票1位に応える形で3ゴールを奪った。全15回のオールスターの中でハットトリックを達成したのは2人のみで、もう1人は2001年の柳沢敦。後半からの出場で、右足、左足、頭で計3度、ゴールネットを揺らした。

 “ミスターセレッソ”森島寛晃の活躍も印象的だった。初出場した1995年にオールスター初得点を決めると、2度目の出場となった1997年からは4年連続で出場し、その全てでゴールを決めた。5度目の出場となった1999年にMVPを受賞したが、それ以上に翌2000年に宮城スタジアムで行われた一戦で、センターライン付近からのストイコビッチのロングパスに、右足ダイレクトボレーで合わせて逆サイドネットに叩き込んだゴールは、今も鮮明な記憶として残っている。誰に対しても常に謙虚で、日本一腰の低いJリーガーと言われたが、オールスターではカズとピクシーの通算5得点を上回る歴代最多の6得点を決める“目立ちたがり屋”でもあった。

 日本人の人気選手が海外でプレーし、代表偏重の時代に突入した中、Jリーグのオールスター戦は“初のカズ・ゴン対決”に話題が集まった2007年が最後の開催となった。2008年、2009年はJリーグと韓国Kリーグの対抗戦という形で試合が行われたが、2010年以降は「休止」という形となっている。その主な理由として、過密日程と冠スポンサーの不在が挙げられているが、今思い返すと十分に商品価値のある魅力的なコンテンツだと言えるのではないか。このまま“無”にしてしまうのは何とも勿体ない。コロナ禍からの脱出を図る中で、“夢の祭典”を復活させるのも、一つの方法だろう。