「プロレス実況と言えばテレ朝」。エンタメ的要素をしゃべりに織り込んだことで、業界内で存在感を発揮した格好だった。
そこへ割って入る形となったのが、日本テレビ系『全日本プロレス中継』の福澤朗。
「ジャストミート」「ファイヤー」など独特のセリフを絶叫することで、『四天王プロレス』と呼ばれた人気絶頂の全日本を盛り上げた。
当時の全日本中継は深夜枠での放送。世間へのアピールを目的にできたのが、福澤が担当した『プロレスニュース』というコーナー。本質のプロレスから脱線することも多く、ファンからは賛否両論が渦巻いた。しかし福澤はここで確固たる地位を確立した、と言っても過言ではない。
強烈なキャラはアナウンサーの枠に収まらなかった。フリー転向後はさらに活躍の幅が広がる。様々な司会はもちろん、役者としてTBS系大人気ドラマ『下町ロケット』への出演まで果たした。
ジャンルを超え、世間に広く名前が知れ渡るようになったアナウンサーたち。
大御所は、日テレ局アナ時代に全日本などを担当した徳光和夫。
昭和プロレス全盛時代をマイクで伝えて来た。また当時、日テレ系バラエティ『金曜10時!うわさのチャンネル!!』内で、ザ・デストロイヤーに技をかけられ悶絶するのも名物だったほどの露出度を誇った。
プロレスの現場を離れても注目度は右肩上がり。日テレ系情報番組『ズームイン!!朝!』の司会を約9年間務め、名実ともに朝の顔となった。現在はフリーとして局をまたぎ、多ジャンルでの司会業やコメンテーター等をつとめる。涙もろい熱烈な巨人ファンの印象も強く、年始の箱根駅伝では沿道で声援を送ることでも有名だ。
フジテレビ系『全日本女子プロレス中継』といえば志生野温夫。
ビューティ・ペア、クラッシュギャルズ、ダンプ松本など、豪華なメンツを揃えた女子プロは社会現象にもなった。志生野は当時のテレビ中継を支えたレジェンドであり、全日本女子ではWWWA2代目コミッショナーも務めた。
日テレ局アナとしてキャリアをスタートさせ、プロ野球やゴルフ中継の第一人者として活躍。フリー転身後には日テレ系『びっくり日本新記録』、『鳥人間コンテスト』などの有名番組も担当。70年代から女子プロ中継の顔となった。
全盛期の女子プロは、様々なところでバラエティ番組などにも取り上げられた。主力選手とともに、志生野もたびたび出演。歴史的お笑い番組『オレたちひょうきん族』に登場したこともある。
80歳を超えた現在も現役アナウンサーとして多くの現場に呼ばれる日々。ソフトな語り口ながら的を得た実況には唸らされる。