日本人には無理なのか…“夢の160キロ”だった時代、大台突入を予感させた「豪腕列伝」 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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日本人には無理なのか…“夢の160キロ”だった時代、大台突入を予感させた「豪腕列伝」

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久保田龍雄dot.
“幻の160キロ”を記録した西武時代の前田勝宏 (c)朝日新聞社

“幻の160キロ”を記録した西武時代の前田勝宏 (c)朝日新聞社

 2010年、ヤクルトの由規(現楽天)が8月26日の横浜戦(神宮)で日本人の投手では初の160キロ台(161キロ)を実現した。以来、大谷翔平(現エンゼルス)の165キロ、千賀滉大(ソフトバンク)、国吉佑樹(DeNA)の161キロ、藤浪晋太郎(阪神)、古谷優人(ソフトバンク)、北方悠誠(現ドジャース傘下)の160キロと、160キロ以上を投げる豪腕投手が続々と誕生。昨年4月には、高校生の佐々木朗希(大船渡高-現ロッテ)が日本人歴代2位の163キロを計時した。

【写真】平成で最もカッコいいバッティングフォームはこの選手!

 だが、今から20年以上前の1990年代は“夢の160キロ”であり、日本人の投手の中で、誰が実現するかが、大きな関心事だった。そんな夢とロマンに満ちたあの頃を振り返ってみよう。

 夢に最も近づいた一人が、ロッテ時代の伊良部秀輝である。

 豪腕誕生のきっかけは、尽誠学園入学直後、上級生の暴行事件が発覚し、1年間の対外試合禁止処分を受けたことだった。

 大河賢二郎監督が「調子はどうや?」と尋ねると、「いいわけないですよ。(目標もなく)朝から晩まで走るだけなのに」とふてくされた伊良部だったが、この時期にサイド気味のフォームをオーバースローに変えたことが、ダイナミックな本格派へと変貌させる。

 86、87年と2年連続で夏の甲子園に出場。プロ注目のスラッガー・浦和学院の鈴木健(西武-ヤクルト)を力でねじ伏せ、一躍全国区のスターに。チームでプロのキャンプを見学に行ったとき、伊良部の速球に見慣れたチームメートが「プロの投手って球遅いんやなあ」と感想をもらした仰天エピソードも伝わっている。

 そして、ドラフト1位でロッテ入団した伊良部は、日本最速右腕への道を歩みはじめる。93年5月3日の西武戦、8回から登板した伊良部は、先頭の四番・清原和博に対し、初球151キロを投じる。「ホームの近くで新幹線が通り過ぎていくようだった」と、清原は呆然と見送った。2球目の156キロ(ファウル)で2ストライクと追い込んだあと、3球目は日本最速記録(当時)の158キロをマーク。さらに4球目も158キロを計時したが、清原は2球続けてファウル。1球カーブで外したあと、満を持して157キロを投じると、速球に目が慣れた清原は鋭く打ち返し、右中間のフェンス近くまで運んだ。力vs力の真っ向勝負に、スタンドのファンは鳥肌が立つ思いだった。


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