他にもボーデン(西武・投手)、オクスプリング(阪神・投手)、ブラウン(阪神・投手)、ナイト(ダイエー、日本ハム・投手)、エバンス(楽天・内野手)など、日本で成功できなかったものの、韓国リーグ移籍後に好成績を収めた選手は多い。

 テーマとはそれるが、日本で本塁打王に2度、打点王に1度輝いたペタジーニ(ヤクルト巨人)は韓国でもその打棒を披露している。2004年を最後に日本を離れたのち、メジャーのレッドソックスなどに所属したペタジーニは、2008年から2年間KBOのLGでプレー。入団2年目には出塁率でリーグトップの.468を記録し、LGの球団史上初となる100打点超えの活躍を見せた。通算で183試合に出場して打率.338、33本塁打、135打点という立派な成績をマークしている。

 ペタジーニのように、日本でも活躍したあとに韓国でも実績を残した選手としては、ガルベス(巨人・投手)やフランコ(ロッテ・内野手)などもいる。
 
 日本では成績を残せず、台湾リーグで活躍した助っ人としては広島でプレーしたリベラが当てはまる。カープアカデミーから広島への入団を果たしたリベラは、日本では1994年シーズンに2試合に先発して未勝利(1敗)、防御率7.71に終わったが、1995年に台湾に渡るとエース級の存在に。所属した時報(現在は消滅)と、統一の3年間通算で、37勝18敗、345奪三振、防御率3.29と堂々の数字を残した。

 同じく投手だと、2009年からオリックスで2年プレーしたレスターも台湾では成功した選手。日本時代にはリリーフとして55試合の登板で2勝3敗10セーブ、防御率4.88とパッとしなかったが、2012年には台湾の統一で先発投手として12勝(5敗)をマークするとともに、リーグトップの防御率2.48を記録。また、2003年に阪神に在籍したポートも日本では1勝にとどまったが、2008年にレスターと同じ統一で13勝(5敗)を挙げている。

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他に台湾で活躍した元助っ人は?