井端弘、岡田彰、川相昌… 「チーム一筋」を貫いて欲しかった選手たち (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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井端弘、岡田彰、川相昌… 「チーム一筋」を貫いて欲しかった選手たち

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中日では落合監督の下で主力として活躍した井端弘和 (c)朝日新聞社

中日では落合監督の下で主力として活躍した井端弘和 (c)朝日新聞社

 ミスタータイガースとして虎ファンから熱烈に愛された鳥谷敬が、大卒プロ入りから16年間過ごした阪神を退団。数カ月の浪人状態を経た後の3月11日、ロッテの一員として支配下登録された。38歳の新たな挑戦に対して、多くのファンがエールを送っているが、その一方で「タイガースで引退して欲しかった」と思うファンも少なからずいる。この鳥谷と同じように、ファンから愛され、“チーム一筋”を貫くと思われながらも、晩年に他球団への移籍を決断した選手は過去にもいる。

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 鳥谷と同じ阪神では、村山実の後に「ミスタータイガース」と呼ばれた田淵幸一もその一人だ。法政大から1969年に阪神入りしてから10年間を過ごして強肩強打の捕手として活躍し、1975年には本塁打王のタイトルも獲得した。しかし、1978年のオフにクラウンから生まれ変わったばかりの西武へ2対4の大型トレードで移籍。1980年に43本塁打を放ち、1982年、83年には自身初のリーグ優勝と日本一も経験した田淵だが、最後まで縦縞のユニフォームを着ていてもらいたかったファンも多い。

 同じ阪神では、伝説のバックスクリーン三連発の3本目を打ち、引退後に監督としてリーグ優勝に導いた岡田彰布も、現役晩年に外に出た一人。1980年の入団から14年間、阪神の背番号16を背負い続けたが、1993年のオフに成績下降を理由に戦力外通告を受け、球団から「引退試合」、「功労金」、「フロント入り」など多くの条件を提示された。だが、岡田が選んだのは「完全燃焼」の道。会見で「これからも阪神ファンであり続ける……」と涙した後、オリックスで2年間プレー。引退試合では阪神・オリックス両球団の選手から胴上げされた。

 岡田と同じ1980年代から90年代で言えば、西武黄金期の主力たちが晩年に他球団に移籍した。代表的なのが、チームリーダーであった石毛宏典だ。1981年にドラフト1位で西武入り、1年目の1981年に新人王に輝くと、14年間に渡って常勝軍団の主力として活躍し、広岡達朗、森祇晶監督の下で計11度のリーグ優勝、8度の日本一を経験した。しかし、1994年オフに森監督の後任監督を打診されるも固辞。FA権を行使してダイエーへ移籍して2年間プレーした。引退後はダイエーで2軍監督、オリックスで監督を務めたが、指導者としては古巣・西武のユニフォームに袖を通していない。


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