もちろん「自己推薦入試」なので、その基準を満たしていればよいのだが、入試要綱には「学芸系・スポーツ系の都道府県以上の大会で、特に優れた成績を挙げた者」「生徒会会長として顕著な活動をした者」とあり、芸能活動は対象ではなかった。スポーツ紙は「毎日映画コンクール新人賞」が評価されたと報じたものの、それならそこそこの芸能人高校生が誰でも入学できてしまう。

 しかも、広末は受験に向けて、仕事をセーブするでもなく、それどころか恋人とのデートを何度も激写されていた。おかげで世間からの逆風を受けることになり、その逆風は入学後、さらに強まった。

 4月の入学式はもとより、授業が始まっても大学に姿を見せず、初登校はなんと6月26日。それも事務所が各メディアに予告していたため、取材陣が殺到して、パフォーマンスのように映ってしまった。学生たちにももみくちゃにされた広末は、この騒動について「ふざけるなって思った」と語ったが、6月には新恋人との同棲も報じられており、別の意味で「ふざけるな」と思った人もいただろう。

 その翌々日、二度目の登校をした際には、大学側の厳重な警備が話題になった。そんなこんなで、前期試験は欠席。結局、広末は5年目の10月に退学する。事務所は「学業と仕事を両立すべくスケジュールをやり繰りしてきたが、中途半端な結果を双方に残したくない」と説明した。

■小島よしおが語る早大生・広末

 実際、まったくの「幽霊学生」でもなかったことは、同じ学科で1年後輩だった、のちの芸人・小島よしおが証言している。

「授業が一緒になったことがありましたね。(略)一度、隣に座ってあいさつしたことがあったんです。当時、広末さんはスターだったから緊張したけど、普通に応じてくれました」

 在学中に取得したのは30単位で、卒業に必要な単位数の4分の1弱だ。ただ、何を隠そう、筆者は同じ早大に入学から2ヶ月で行かなくなり、取得単位ゼロで除籍になった。それに比べれば、ずいぶん頑張ったと思うのだが、世間の見方はそうではない。順風満帆だった広末にとって、これは人生初の挫折になってしまった。

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奇行ゆえ「プッツン女優」と呼ばれた