「今思えば、あれは女性の家にいくための“口実作り”だったのかもしれません」(マイコさん)

 マイコさんらによれば、ヨシオさんのこれまでの愛人歴はわかっているだけで2人。兄妹の間では、それぞれの愛人宅の場所から『栃木の人』『千葉の女』などと呼ぶようになった。別居が本格的に始まった年数から計算すると、このほかにも愛人がいた可能性は高いという。ヨシオさんは別居中、女性宅を転々としていたのだ。

 あきれた妹のアコさんが母に離婚を勧めたこともある。だが、母は「手続きが面倒だからいい。生活費は入れてくれるし、老後に年金が半分もらえればそれでいい」と応じなかった。“別居状態”が続き、いつしか、父と会うのは盆や正月、親族の冠婚葬祭くらいになった。

 年に数回だけ会いにくる父に、戸惑いはなかったのだろうか。

「ありましたよ。でも母が受け入れて家にあげていましたから、これでいいのかなと。孫のことも可愛がってくれますから、そこは割り切っていました」(アコさん)

 そんな状態が揺らぎ始めたのが、3年ほど前だ。『千葉の女』と呼ぶ愛人から、マイコさんの兄の長男・タカオさん(50代)に次のようなメールがきたのだ。

「ヨシオさんが高齢になり、私も歳をとったので面倒を見切れなくなってきました。せめて老後は、ご家族のもとでお過ごしください」(千葉の女性)

 これに兄妹は怒り心頭だ。

「思わず『ふざけんじゃないよ!』と叫んでしまいました。散々好き勝手しておいて、面倒をみれないから『お返しします』って、こんなに都合の良い話があります?」(マイコさん)

 マイコさんは“千葉の愛人”と会うことにした。周囲に話を聞かれないようにと、マイコさんが待ち合わせに指定したのはカラオケ店。そこで今後について話し合うことになった。現れた女性に、マイコさんは驚きを隠せなかった。

「母にそっくりなんです。“愛人”っていうと、若くて派手な服を着た強気な女性を想像するじゃないですか。でも会ってみたら70代くらいの普通の女性だったんです」

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